「高等学校日本史B/高度経済成長の日本」の版間の差分

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高等学校政治経済/経済/戦後日本の経済のあゆみ 2018年5月23日 (水) 06:05‎ から引用。
「春闘」、革新首長
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そして1956年の『経済白書』で「もはや戦後ではない」と記述されるまでに景気回復した。
 
 
なお、1955年には、労働運動において、総評が中心となって、各産業の労働組合がいっせいに賃上げ要求をする「春闘」(しゅんとう)方式が始まり、しだいに一般的になった。(※ 毎年、春に賃上げ要求をするので、「春闘」という。)
 
== 高度経済成長 ==
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さて、戦前は日本の製品は品質が低いと国際的には見なされていたが、高度成長のころから、日本企業が国際的な競争力をつけていった。
 
 
一方、公害の問題が深刻化した。
 
なお、石炭から石油へのエネルギー革命が、日本では、この高度成長期に起きた。
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このようにして、日本はIMFーGATT体制に入り、また、日本では貿易が自由化されていった。
 
== 未分類 ==
戦時中に制定された食糧管理制度による所得保障による農家保護が、戦後もつづき、さらに米価も値上げしたので、農家は裕福になっていった。なので、戦前のような貧しい農業の問題は、ほぼ解決した。(なお、政府は1961年に農業基本法を制定した。)
 
しかし、それでも人々の多くは農業に就職するより製造業などに就職することを目指し、都市に人口が流入していき、一部の農村は過疎化をしていった。また、兼業農家も増加していった。
 
いっぽう、都市では、人口の流入によって過密化していき、都市郊外にニュータウンや団地が造成されていった(スプロール化)。また、家族形態では'''核家族'''が一般的になった。
 
都市では、渋滞や大気汚染、騒音などで、生活環境が悪化した。
 
 
一方この頃、公害の問題が深刻化した。
 
:※ 四大公害裁判、公害対策基本法、環境庁については、中学で習ったとおり。
 
地方自治では、大都市では革新系政党(社会党など)の首長(革新首長)が増えていった。いっぽう、農村では、保守系政党(自民党)が支持されることが多かった。