「高等学校日本史B/第一次世界大戦と日本」の版間の差分

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→‎護憲三派: 「加藤」を「加藤(高)」に。検定教科書もそうなっている。
甘粕事件
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| 山東省懸案解決に関する条約 || セル内のテキスト
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== 関東大震災 ==
1923年、関東地方の東京を中心にマグニチュード7.9の大地震が起き、地震のあと大火災も生じて、東京が壊滅した(関東大震災)。
 
全焼家屋20万戸、死者・行方不明者が10万人にのぼる、大災害となった。
 
 
このような中、人々はパニックになり、デマが飛びかい、朝鮮人が井戸に毒を入れたとかで、多くの朝鮮人・中国人など移民が反乱を疑われて、自警団を組織した民衆や警官などの手によって殺害された。
 
数百人〜数千人の朝鮮人が殺されたというが、人数について定説は定まっていない。中国人は、数百人が殺害されたと推定されている。
 
また、無政府主義者大杉栄(おおすぎ さかえ)が、憲兵大尉 甘粕正彦(あまかす まさひこ)によって殺害される事件が起きた(甘粕事件)。
:(※ 検定教科書では、関係者のプライバシー保護のためか、甘粕の名前は書いてない教科書も多く、甘粕事件じたいを紹介してない。しかし参考書では、本事件について記載されている。)
 
また、警官によって警察署(東京・亀戸(かめいど)署)で労働運動の指導者10名が殺害された(亀戸事件)。(※ 検定教科書では、地域差別の防止のためか、亀戸の地名を隠す教科書も多い。)
 
朝鮮人の容疑がデマだと分かると、政府は朝鮮人の保護のため、朝鮮人を日本国内で移送して隔離した。(参考文献: 東京書籍の教科書)
 
 
(無政府主義者が甘粕事件に憤ってか、)年末には無政府主義者の青年の難波大介(なんば だいすけ)が、摂政をつとめていた裕仁親王(ひろひと(のちの昭和天皇))を狙撃する虎ノ門事件(とらのもん じけん)が起きた。(のちに難波は大逆罪により死刑となり、処刑された。)
 
:(※ 検定教科書では、狙撃犯のプライバシー保護のためか、難波の名前は書いてない教科書も多い。)
 
 
山本権兵衛内閣は、これらの事件の責任をとる形となり、年末に総辞職した。つづいて、清浦奎吾(きようら けいご)内閣が成立した。