「高等学校日本史B/第一次世界大戦と日本」の版間の差分

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「今日は三越(みつこし)、あすは帝劇(ていげき)」
総合雑誌『中央公論』『改造』なども創刊
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原の死後、原内閣の大蔵大臣であった高橋是清が首相となって高橋是清内閣が成立したが、国民からの人気は出ず、短期政権となり、高橋内閣は倒れ、かわって、つぎの加藤友三郎(かとう ともざぶろう)内閣ではシベリア撤兵が実現し、つぎの第二次山本権兵衛内閣の時代に関東大震災のあとに起きた虎門事件(とらのもん じけん)で政権が倒れ、つぎの清浦奎吾(きようら けいご)内閣となった。
 
加藤・山本・清浦の3人とも、非政党人である。
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(無政府主義者が甘粕事件に憤ってか、)年末には無政府主義者の青年の難波大介(なんば だいすけ)が、摂政をつとめていた裕仁親王(ひろひと(のちの昭和天皇))を狙撃する 門事件(とらのもん じけん) が起きた。(のちに難波は大逆罪により死刑となり、処刑された。)
 
:(※ 検定教科書では、狙撃犯のプライバシー保護のためか、難波の名前は書いてない教科書も多い。)
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また、雑誌の創刊も盛んになり、週刊誌『週刊朝日』や週刊誌『サンデー毎日』もこの頃に創刊された。
 
新聞には小説が連載されており(現代でいう「新聞小説」)、中里介山(なかざと かいざん)・直木三十五(なおき さんじゅうご)・吉川英治(よしかわ えいじ)などの大衆文学作家が確立した。
 
また、総合雑誌『中央公論』『改造』なども創刊された。
 
大衆雑誌『キング』もこの時代に講談社によって創刊され、100万部以上の大人気になった。
 
その他、『現代文学全集』などの1冊1円の円本(えんぽん)といわれた低価格本も流行した。同じ頃、岩波文庫(いわなみ ぶんこ)も登場した。
 
ラジオ放送も1925年に始まり、新聞・雑誌ともにメディアの中心となった。
 
この頃、高校野球や大学野球が人気になった。1924年に阪神甲子園(こうしえん)球場ができると、高校野球大会がここで開かれるようになった。
 
映画は、大正時代の映画は、音声なしの無声映画で弁士(べんし)をともなう方式だったが、昭和初期に有声映画(トーキー)がでてきた。
 
== 学問や芸術など ==
理科系の分野では、本田光太郎のKS磁石鋼、野口英世の医学研究、などの優れた発見があった。