「高等学校日本史B/冷戦後の日本」の版間の差分

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テロ対策特別措置法、自衛隊イラク派遣の「非戦闘地域」
日朝平壌宣言
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== 予備知識 ==
冷戦が、1989年ごろに終結する。
 
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== 小泉純一郎 内閣 ==
=== 内政 ===
2001年4月に成立した小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう)内閣は、「聖域なき構造改革」をスローガンに、経済政策や行財政では新自由主義を採用し、郵政民営化や、労働の規制緩和を行った。
 
(※ アメリカ同時多発テロの対応については、中学で説明したとおり。)
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=== 外交 ===
 
==== アメリカ外交 ====
外交では、アメリカ同時多発テロが2001年9月に起き、アメリカのブッシュ大統領が対テロ戦争の方針を打ち出すなどすると(そしてアメリカ軍は、テロ首謀者の潜伏しているとみられるアフガニスタンの一地域を空爆などによって攻撃し、テロ組織を支援しているとみられるタリバン政権を打倒した。)、日本の小泉政権は積極的にアメリカの方針を支持した。そして2001年10月に日本では'''テロ対策特別措置法'''が成立した。
 
そして日本は、多国籍軍支援のため、海上自衛隊をインド洋に給油活動のため派遣した。
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その後の2003年3月にアメリカのブッシュ政権がイラク戦争を開戦すると、アメリカはただちにフセイン政権を打倒し、アメリカ軍はイラク占領に入った。(このイラク占領では、中東アジア系勢力によるものと見られるテロが多発し、アメリカ軍は苦しめられる事になる。)
 
そして日本は同年7月に'''イラク復興支援特別措置法'''を成立させ、イラク復興活動として自衛隊をイラクに派遣した。(2009年2月まで、イラクに自衛隊が派遣されていた。)
 
(なお、アメリカ軍は2011年12月にイラクから撤退する。)
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もっとも、自衛隊にイラクなどに派遣する際には、派遣先の地域については「非戦闘地域」であるという表現を、小泉政権は使った。
 
また、小泉は、A級戦犯をまつっているとされる靖国(やすくに)神社に首相として公式参拝した。
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==== アジア外交 ====
2002年に小泉純一郎は北朝鮮を訪問して北朝鮮の金正日国家主席と会談して、日朝平壌宣言(にっちょうピョンヤン宣言)を結び、これによって北朝鮮による拉致(らち)被害者の一部の帰国が実現した。
 
しかし、日朝の国交は(2018年の)いまだに正常化していない。