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安政の五か国条約 |
居留地貿易 |
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1858年4月に大老になった'''井伊直弼'''(いい なおすけ)は、勅許(ちょっきょ)を得ないまま、同年6月に'''日米修好通商条約'''に調印した。ついで幕府は、オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の条約を結んだ('''安政の五か国条約''')。
日米通商条約では、日本の関税自主権を認めておらず、領事裁判権(治外法権)の承認など、日本が不利な点も多い。
しかし、アヘンの輸入禁止、外国人の日本国内の自由な旅行の禁止などを、認めており、アヘン戦争で敗退した清国がヨーロッパ列強と結ばされた条約と比べると、日本に有利な点もある。
日米修好通商条約の内容は、
:* 神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港と、江戸・大坂の開市。
:* 自由貿易。
:* 開港場に居留地を設定する。なお、外国人の国内旅行は制限される。
:* 関税は相互で協定して決め('''協定関税''')、日本に決定権が無い(関税自主権の欠如)。
:* '''領事裁判権'''(治外法権)の承認。
などである。
== 貿易の開始とその影響 ==
通商条約にもとづき、開港がされ、開港場には外国人の居留地がもうけられ、外国人商人と日本人商人との間で貿易が行われた('''居留地貿易''')。
最大の貿易港は横浜であり、最大の貿易相手国はイギリスであった。
主要な(日本からの)輸出品目は、生糸(きいと)や蚕卵紙(さんらんし)、茶であった。
輸入では、毛織物・絹織物や、武器や艦船などの軍需品であった。
当初は、輸出が輸入を上回った。
国内経済では、流通魍が大きく変わることとなり、それまでの江戸を中心とした流通システムは解体されていき、生糸などの輸出品は横浜に商品が集まるようになった。
幕府は、江戸中心の流通システムを保護をするため、1860年に'''五品江戸廻送令'''(かいそうれい)を出して生糸・雑穀・水油・蝋(ろう)・呉服は江戸の問屋を必ず通すように定めたが、外国と地方商人からの反対により、効果は出なかった。
また、金銀の交換比率の日本と列国との違いから、金(きん)が海外に流出した。幕府は金流出をふせぐため小判の改鋳を行い、新小判での金の含有量を下げた(万延改鋳)。改鋳により貨幣価値が下がったためもあり、物価は上昇した。
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