「高等学校日本史B/明治維新」の版間の差分

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警視庁
ナショナル=バンク
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== 地租改正(ちそかいせい) ==
[[Image:Chiken akita face.jpg|thumb|300px|right|'''地券'''(ちけん)。土地の所有を保証するための保証書として、このような証明書を発行し、土地の所有権を認めた。]]
 
 
1871年、政府は、田畑の勝手作りを許可した。
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:※ 入会地(いりあいち)とは、農村などでは、木材をひろうための山林などは、村民全員で共有していたので、そのような共有地のことを「入会地」(いりあいち)という。現代語でも、そのような農業関係者の共有の土地のことは「入会地」(いりあいち)という。
 
== 貨幣制度と銀行 ==
明治政府は、戊辰戦争などの戦費を調達するために太政官札(だじょうかんさつ)や民部省札(みんぶしょうさつ)などの紙幣を発行していたが、これらは'''不換'''紙幣(ふかん しへい)だったので信用されなかった。(不換紙幣(ふかんしへい)とは、金銀との交換が保証されてない紙幣のこと。なお、金銀との交換を保証された紙幣のことは、'''兌換'''紙幣(だかん しへい)という。 )
 
これらの紙幣にくわえて、旧来の藩札や貨幣も流通しており、貨幣の状況が複雑であった。
 
このため、政府は通貨統一の必要にせまれれ、1871年(明治4年)に'''新貨条例'''(しんか じょうれい)を公布し、円(えん)・銭(せん)・厘(りん)を基本単位とする金本位制で十進法の新貨幣の制度を採用した。
 
しかし、これらの改革の結果にかかわらず、アジア地域では貿易に銀が使われたため、日本の貿易でも銀が使われたため、制度上は日本は金本位だったが、事実上は金本位と銀本位との金銀複本位だった。貿易では銀貨が流通していた。
 
さて政府は翌1872年に新紙幣を発行して、これを太政官札と引き換えることにより太政官札を回収し、旧紙幣回収に成功した。なお、この新紙幣は不換紙幣である。
 
また政府は、(アメリカのナショナル=バンク制度を参考に、)1872年、'''渋沢栄一'''(しぶさわ えいいち)が中心となって'''国立銀行条例'''を公布し、兌換銀行(だかんぎんこう)を普及させようとした。
 
1873年には日本で初めての銀行である第一国立銀行が出来た。(第一国立銀行は「国立」といっても制度上は民間銀行である。)
 
しかし、民間には兌換義務は負担が重く、この頃に設立された銀行は4行と少なかった。そこで政府は1876年に、兌換義務のない銀行の設立を許可すると、いっきに多くの銀行が設立され、1879年までには153行の銀行が設立されていた。