「高等学校日本史B/明治の近代化の改革」の版間の差分

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高等学校日本史B/明治維新 2018年5月28日 (月) 14:21‎ から殖産工業について移動。
 
大教宣布の詔
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そのほか、さまざまな事業で、三井(みつい)・三菱などの特定の民間の大企業が、優遇・保護された。このように、政府とむすびついた商人たちのことを'''政商'''(せいしょう)という。
 
== 宗教 ==
宗教政策では新政府は、王政復古の祭政一致の理念により、神仏習合を禁じて1868年に'''神仏分離令'''(しんぶつ ぶんりれい)を出した。そのため、全国にわたって<big>廃仏毀釈</big>(はいぶつ きしゃく)の運動が起き、各地で仏像や寺院が破壊された。
 
いっぽう、政府は神道(しんとう)の国教化を目指し、1870年に'''大教宣布の詔'''(だいきょうせんぷ の みことのり)を出し、神社制度や、皇室行事にもとづく祝祭日を設定した。
 
キリスト教については、新政府は当初、旧幕府のキリスト教の禁止を継続し、長崎の浦上のキリシタンが弾圧を受けていたが、列国の強い抗議により、1873年にキリスト教禁止の高札(こうさつ)が撤去され、キリスト教の信仰が黙認されるようになった。これを機に多くの外国人宣教師が来日し、布教活動を行った。
 
== 教育 ==
1871年に文部省が設置された。そして、すべての日本国民の子どもの男女に教育をさずけるべきとの理念のもと、1872年に小学校から大学までの制度や学区などについての'''学制'''を定めた。(※ いくつかの検定教科書では、フランスの学制を参考にしたのだろうと分析されている。山川出版や清水署員など)
 
しかし、学校建設費や授業料の負担が地域や保護者に課せられたため、反発運動が高まり、政府は1879年に学制にかえて教育令を出した。
 
高等教育については、1877年に旧幕府の開成所や医学所などを統合して'''東京大学'''をつくった。そして、多くの外国人教師が招かれた。
 
そのほか政府によって、教員養成のための師範学校や、女子教育のための学校、産業教育のための専門学校もつくられた。
 
いっぽう政府とは別に、'''福沢諭吉'''の'''慶応義塾'''、新島襄(にいじま じょう)の'''同志社'''(どうししゃ)、大隈重信の東京専門学校などの私立の学校が設立された。