「高等学校日本史B/幕藩体制の動揺」の版間の差分

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== 経済問題の根本原因 ==
{{コラム|人口問題が諸問題の根源|
教科書に書いてないが、江戸時代の人口は、中盤以降、約3000万人の水準がつづき、幕末まで人口はそのままの水準で停滞するのである。
もし人口が4000万人くらいになろうとすると、飢饉などが起きて、3000万人の水準にもどるのが史実である。
 
江戸時代の財政難や飢饉などの根本的な原因のひとつは、日本の国土での米などの食用農作物の生産量に対して、人口が多すぎることである。しかし幕府の歴代の政権は人口問題にまったく手をつけない。
 
おそらく幕府にとっては、農民たちが子供をたくさん産んでくれたほうが、将来の労働力が増えて好都合なので、産児制限をしないのだろう。
 
歴代の政権は、その場しのぎで、様々な改革をする。
}}
 
== 享保の改革 ==
1716年に7代将軍 家継(いえつぐ)が幼くして(8歳で)死去し、徳川本家の血統が絶えると、三家のひとつの紀州藩主の'''徳川吉宗'''(よしむね)が8代将軍になった。