「高等学校日本史B/徳川幕府の成立」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
服忌令
編集の要約なし
1 行
{{substubstub}}
:※ 中学校で習ったような内容に加え、下記の内容が追加される。
 
51 行
綱吉の時代の1701〜1702年に赤穂事件(あこう じけん)が起きた。
 
:赤穂事件(あこう じけん)とは、江戸城中で赤穂(あこう)藩主 浅野長矩(あさの ながのり)が吉良義央(きら よしなか)を斬りつけた事件。長矩は切腹になった。翌年、赤穂藩 元家老 大石良雄(おおいし よしお)が仇討ち(あだうち)として吉良の家に討ち入りし、吉良を殺害した。
 
1707年(宝永4年)には富士山が噴火し(宝永大噴火)、駿河・相模などが降灰の被害を受けた。
 
なお綱吉は1683年に武家諸法度を改訂し、第一条を「文武弓馬(きゅうば)の道、専ら(もあっぱら)相嗜む(あいたしなむ)べき事」から「文武忠孝(ちゅうこう)を励まし、礼儀を正すべき事」に改訂している。