「高等学校日本史B/元禄文化と学問の発展」の版間の差分

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西山宗因(にしやま そういん)
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荻生徂徠は、柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)・将軍吉宗(よしむね)の政治顧問として用いられ、幕政にも関わった。また、徂徠は江戸に私塾 蘐園塾(けんえんじゅく)を開いた。
 
== 元禄文化 ==
 
{| class="wikitable" style="float: right; text-align: center; margin: 2pt;"
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|+ 主な文学作品
!- colspan="3" | 小説
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! 作品名 !! 著者 !! ジャンル
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| 好色一代男 || 井原西鶴 || 好色物
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| 好色五人女 || 井原西鶴 || 好色物
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| 日本永代蔵 || 井原西鶴 || 町人物
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| 世間胸算用 || 井原西鶴 || 町人物
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| 武家伝来記 || 井原西鶴 || 武家物
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| 武家義理物語 || 井原西鶴 || 武家物
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!- colspan="3" | 紀行・句集
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| 笈の小文<br>(おいのこぶみ) || 松尾芭蕉 ||
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| 奥の細道 || 松尾芭蕉 ||
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| 猿蓑(さるみの) || 松尾芭蕉ら ||
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!- colspan="3" | 脚本
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| 曾根崎心中 || 近松門左衛門 || 世話物
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| 心中天網島<br>(しんじゅう てんのあみじま) || 近松門左衛門 || 世話物
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| 冥土の飛脚 || 近松門左衛門 || 世話物
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| 国性爺合戦<br>(こくせんや かっせん) || 近松門左衛門 || 時代物
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|}
 
 
俳句では、「わび」「さび」と言った落ちついた作風の'''松尾芭蕉'''(まつお ばしょう)は、もともと、強調表現や派手な表現を得意とした談林派(だんりんは)の出身である。
 
※ では、経緯を見ていこう。
 
そもそも、俳句(はいく)のもとになった俳諧(はいかい)は、もともと連歌の一部の発句(はっく)であった。
 
江戸時代の初めごろ、連歌から分かれた俳諧(はいかい)が人気になった。
 
まず始めに、西山宗因(にしやま そういん)が軽妙な俳諧で人気になった。
 
松尾芭蕉も、西山の一門に学んだ。
 
しかし、松尾芭蕉はやがて西山の派から脱け、独自の作風を確立する。(芭蕉のような作風のことを「'''蕉風'''」(しょうふう)という。)
 
また、松尾芭蕉は紀行文『'''奥の細道'''』を残した。
 
 
なお、のちに小説家として知られる井原西鶴(いはら さいかく)も、西山宗因の俳諧に学んだ。
 
 
 
小説では、'''井原西鶴'''(いはら さいかく)が、小説の題材として、金銭ざたや色恋ざたなど、町人や庶民の風俗を題材にした小説を書いた。
 
井原の書いたようなジャンルの小説は、'''浮世草子'''(うきよぞうし)と言われる。(従来の「仮名草子」(かな ぞうし)に対して、浮世草子と言った。)
 
井原の代表作に『好色一代男』(こうしょく いちだいおとこ)、『日本永代蔵』(にほん えいたいぐら)、『武道伝来記』(ぶどうでんらいき)などがある。