「高等学校日本史B/元禄文化と学問の発展」の版間の差分

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西山宗因(にしやま そういん)
坂田藤十郎
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井原の代表作に『好色一代男』(こうしょく いちだいおとこ)、『日本永代蔵』(にほん えいたいぐら)、『武道伝来記』(ぶどうでんらいき)などがある。
 
人形浄瑠璃では、大坂で竹本義太夫(たけもと ぎだゆう)が竹本座を創設し、義太夫節(ぎだゆうぶし)の浄瑠璃の語りで人気になった。同じ頃、脚本家の近松門左衛門の脚本が、浄瑠璃で多く使われ、竹本座でも近松の作品が語られた。
 
 
歌舞伎(かぶき)は、もともとは女性の踊り(おどり)などをみせる女歌舞伎(おんな かぶき)だったが、風俗を乱すとして禁止され、つづいて少年の演じる若衆歌舞伎(わかしゅ かぶき)になったが、これも風俗を乱すとして禁止され、最終的に成年男子の演じる野郎歌舞伎(やろう かぶき)になって認められた。
 
歌舞伎の内容も、しだいに演劇になっていった。そして、役者が人気になっていった。
 
江戸では、初代 市川団十郎が、力づよい演技である荒事(あらごと)で人気の俳優になった。
 
いっぽう、上方(かみかた)では、色男の役である和事(わごと)の坂田藤十郎(さかた とうじゅうろう)や、女役である女形(おやま)の芳沢あやめ(よしざわ あやめ) が人気の俳優になった。
 
 
== 元禄ごろの美術・工芸 ==