「高等学校日本史B/第二次世界大戦と日本」の版間の差分

白樺派の作品が流行したのは戦後になってから。
(創氏改名について、実教出版の教科書で紹介されてる説を紹介。)
(白樺派の作品が流行したのは戦後になってから。)
 
=== 文化と戦時体制 ===
1930年代の文学では、戦時統制とは あまり関係のない文学的な理由で、島崎藤村(しまざき とうそん)や志賀直哉(しが なおや)の作品が流行した。
 
:(※ 検定教科書には、この時代に「白樺派(しらかばは)の志賀直哉(しが なおや)や武者小路実篤(むしゃのこうじ さねあつ)の作品が流行した」とあるが、これは大ウソであり、単に文藝春秋などの雑誌が、お仲間の志賀の作品を褒めただけである。志賀など白樺派の信望した私小説というジャンルは、戦前では、世間から無視されていたジャンルであった。
: 白樺派の初期メンバーは、出身が金持ちの生まれである。これが白樺派の本質である。要するに、単に、金持ちの家のお坊ちゃんの文学サークルにすぎない。白樺派の特徴である「理想主義」とか「個人主義」とか「人道主義」とか西洋を理想にしたとか言う特徴も、単に、金持ちの文学マニアのお坊ちゃんの文化にすぎない。
:白樺派のメンバーの学歴も、ほとんどの者の学歴は、金持ちの入学する(学費の高い)私学の学習院の出身である。
:戦後、文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう)などの文学評論の雑誌社が、権威付けのために、自分たちの仲間を雑誌で賛美し、その影響が学校教育における文学史にも及び、受験国語の文学史の問題で「白樺派」が答えの出るようになった時代になって、やっと白樺派の価値があがり、現代に至ってる。)
 
 
いっぽう、思想弾圧によりプロレタリア文学が壊滅した。いっぽう、戦争を描写した戦争文学がさかんになった。火野葦平(ひの あしへい)は自らの従軍経験をもとに『麦と兵隊』を書き、人気を博した。いっぽう、石川達三(いしかわ たつぞう)の『生きている兵隊』は発売禁止になった。
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