「高等学校日本史B/律令国家への道」の版間の差分

白鳳文化
(内臣(うちつおみ)に中臣鎌足を登用)
(白鳳文化)
668年に中大兄皇子は天皇として大津宮で即位し、中大兄皇子は天智天皇(てんじ てんのう)になります。
 
668年に、法典である 近江令(おうみりょう) が出来ます。天智天皇(=中大兄皇子)が中臣鎌足に命じ、役人たちに編纂(へんさん)させたものです。また天智天皇は、670年に、日本最初の全国的な戸籍である <big>庚午年籍</big>(こうごねんじゃく) を作成されます。これが、'''日本最初の戸籍'''でよく聞かれるのは、天智天皇なのか、後に出てくる'''天武天皇'''(てんむてんのう)なのかです。注意しましょう。
 
 
== 壬申の乱 ==
[[画像:Fuhon-sen.JPG|thumb|180px|right|富本銭(複製品)。 天武天皇のころに作られた日本で最初の銅の貨幣。]]
[[File:Tomimotosen Tobishimaike end of 7th century copper and antimony.jpg|thumb|180px|right|富本銭(ふほんせん)。(複製品)]]
天智天皇がなくなると、天皇の皇位をめぐり、皇族どうしの争いが起きます。天智の弟の<big>大海人皇子</big>(おおあまのおうじ)と、 天智の子の大友皇子(おおとものおうじ)とが、672年に争い戦争になる。これを <span style="color:red"><big>壬申の乱</big></span>(じんしんの らん) という。大海人皇子が勝ち、大海人皇子が <span style="color:red"><big>天武天皇</big></span>(てんむてんのう)として飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で即位する。
 
「日本」という国号や、「天皇」という称号は、天武天皇の時には、使われていただろうと考えられています。
 
(※ 高校の範囲: )天武天皇は、684年には、天皇を中心とした新しい身分制度である八色の姓(やくさのかばね)を制定し、豪族の身分を再編した。
 
(※ 高校の範囲: )八色の姓には、真人(まひと)・朝臣(あそみ・あそん)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなぎ)の8つの姓がある。
 
藤原京の建設を始めたが、完成前に天武天皇は死去した。
 
天武の死後、皇后が天皇として即位して、持統天皇(じとうてんのう)になる。
 
(※ 高校の範囲: )689年には飛鳥清御原令(あすかきよみはらりょう)を施行し(※ 飛鳥清御原令は史料が現存しておらず内容が不明)、翌年には戸籍である庚寅年籍(こういんねんじゃく)を作成した。
 
持統天皇は、694年に都を飛鳥から奈良の<big>藤原京</big>(ふじわらきょう)に遷都させた。藤原京は、道路が碁盤(ごばん)の目のように、格子(こうし)状に区画されています。この都の碁盤目のような区画は、唐の都を参考にしています。
 
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== ※ 高校の範囲: 白鳳文化 ==
[[File:Takamat1.jpg|thumb|高松塚古墳 壁画]]
[[ファイル:Yakushiji Nara11s5bs4200.jpg|thumb|left|薬師寺 東塔]]
 
天武・持統のころの文化は、宮廷を中心とした仏教調の文化だった。この時代の文化を白鳳文化(はくほう ぶんか)という。
 
天武の時代に、大官大寺(だいかん だいじ)、薬師寺が建設された。
 
絵画では、法隆寺金堂 壁画や、高松塚古墳(たかまつづか こふん) 壁画がある。
 
彫刻では、興福寺(こうふくじ)の仏頭(ぶっとう)がある。
[[File:Buddha Head Yamadadera.JPG|thumb|center|興福寺の仏塔]]
 
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== 大宝律令 ==
:(たいほう りつりょう)
701年の文武天皇(もんむてんのう)のときに、 <span style="color:red"><big>大宝律令</big></span>(たいほうりつりょう) という法典が完成する。大宝律令は、唐の<span style="color:red"><big>律令</big></span>(りつりょう)という法律を参考にしています。
「律」は罪人をさばくための刑法で、「令」(りょう)は役所や役人などに対する法律です。
 
律令にもとづいて政治を行う国家のことを、歴史学の用語で <big>律令国家</big>(りつりょう こっか) と言います。
 
この大宝律令を編纂(へんさん)した人物は、<big>藤原不比等</big>(ふじわらの ふひと) らが中心に編纂(へんさん)した。藤原不比等は、中臣鎌足(なかとみのかまたり)の子である。
 
 
政府の中央組織には 二官八省(にかんはっしょう) が置かれた。二官には、神々をまつる宗教を行なう <big>神祇官</big>(じんぎかん)と、一般の政務をおこなう <big>太政官</big>(だじょうかん)がおかれた。
 
太政官には、 <big>右大臣</big>、 <big>左大臣</big>、 <big>太政大臣</big>が置かれた。
 
太政官の下に、大蔵省などの八省が置かれた。
発症は、宮内省(くないしょう)、大蔵省(おおくらしょう)、刑部省(ぎょうぶしょう)、兵部省(ひょうぶしょう)、民部省(みんぶしょう)、治部省(じぶしょう)、式部省(しきぶしょう)、中務省(なかつかさしょう)である。
 
:中務省(なかつかさしょう)の仕事は、詔(みことのり)や勅(ちょく)の作成。
:式部省(しきぶしょう)の仕事は、役人の人事や教育。
:民部省(みんぶしょう)の仕事は、戸籍や租税。
:兵部省(ひょうぶしょう)の仕事は、軍事や警備。
:刑部省(ぎょうぶしょう)の仕事は、刑罰や裁判。
:大蔵省(おおくらしょう)の仕事は、物資の管理や財政。
:宮内省(くないしょう)の仕事は、宮中の事務や庶務。
:治部賞(じぶしょう)の仕事は、儀式や外交。
 
<div style="font-size:120%;">
<pre>
         
           ┏━━中務省
   ┏━太政官━━━╋━━式部省
   ┃       ┣━━民部省
天皇━┫       ┣━━兵部省
   ┃       ┣━━刑部省
   ┃       ┣━━大蔵省
   ┗━神祇官   ┣━━宮内省
           ┗━━治部賞
 
</pre>
</div>
このようにして、中央の地位の高い役職についた者たちが元になって、<big>貴族</big>(きぞく)の階級が出来上がっていった。
 
班田収授や、租庸調(そようちょう)も定められた。
また、九州には、防衛のための役所として、<span style="color:red"><big>太宰府</big></span>(だざいふ)が置かれた。
 
中央と地方の役所を図にまとめると、次のようになる。
<div style="font-size:120%;">
<pre>
         
             ┏━━中務省
     ┏━太政官━━━╋━━式部省
     ┃       ┣━━民部省
(中央) ┃       ┣━━兵部省
     ┃       ┣━━刑部省
     ┃       ┣━━大蔵省
     ┗━神祇官   ┣━━宮内省
             ┗━━治部賞
 
(地方) 
       国司━━郡司━━里長
       太宰府
 
</pre>
</div>
 
[[Category:中学校歴史|あすかしたい]]
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