「高等学校日本史B/律令国家への道」の版間の差分

:(たいほう りつりょう)
701年の文武天皇(もんむてんのう)のときに、 <span style="color:red"><big>大宝律令</big></span>(たいほうりつりょう) という法典が完成する。大宝律令は、唐の<span style="color:red"><big>律令</big></span>(りつりょう)という法律を参考にしています。
 
:※ 大宝律令は本文が現存しておらず、内容が不明。718年の養老律令と似た内容だろうと推測されているが、この養老律令も本文が現存していないが、しかし注釈書が現存しているので、そこから内容を推測している。
 
「律」は罪人をさばくための刑法で、「令」(りょう)は役所や役人などに対する法律です。
 
この大宝律令を編纂(へんさん)した人物は、<big>藤原不比等</big>(ふじわらの ふひと) らが中心に編纂(へんさん)した。藤原不比等は、中臣鎌足(なかとみのかまたり)の子である。
 
 
政府の中央組織には 二官八省(にかんはっしょう) が置かれた。二官には、神々をまつる宗教を行なう <big>神祇官</big>(じんぎかん)と、一般の政務をおこなう <big>太政官</big>(だじょうかん)がおかれた。
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