「高等学校日本史B/律令国家への道」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
順序の入れ替え。高校用の話題の追加など。
54 行
これまでは豪族や皇族たちが持っていた土地は、すべて朝廷のものになります。豪族や皇族が持っていた人民も、朝廷が持つことになります。この命令が<span style="color:red"><big>公地公民</big></span>(こうちこうみん)です。朝廷が管理できない土地の存在を禁止します。同様に、朝廷が管理できない住民の存在も禁止します。
 
 
* <span style="color:red"><big>班田収授</big></span>(はんでんしゅうじゅ)
人民の<big>戸籍</big>(こせき)を作り、人民に耕作をさせるための<span style="color:red"><big>口分田</big></span>(くぶんでん)という田を与え耕作させます。
 
この当時の戸籍とは、人民をひとりずつ、公文書に登録することで、住所や家族の名や年齢、家の世帯主、などを把握することです。
 
この飛鳥時代に、すでに「戸籍」という言葉がありました。
 
このような情報の管理は、税をとることが目的です。税の台帳である<big>計帳</big>(けいちょう)をつくるため、戸籍が必要なのです。
 
現在の日本での戸籍とは、「戸籍」の意味が少しちがうので、注意してください。「計帳」という言葉は、この飛鳥時代の言葉です。詔の本文に書かれています。
 
詔の本文に、「初造戸籍計帳班田収授之法。」とあります。現代風に読みやすく区切りを入れれば、「初 造 戸籍 計帳 班田収授之法。」とでも、なりましょう。
 
 
目的は、収穫から税収をとるためです。前提として、公地公民が必要です。
6年ごとに人口を調査します。
税を取るにも、まずは人口を正しく把握しないと、いけないわけです。女にも口分田(くぶんでん)が与えられます。
 
原則として、<span style="color:red"><big>6才以上の男女</big></span>に田を与えます。男(6才以上)には2反(720歩=約24アール)の田を与え、女(6才以上)には男の3分の2(480歩=約16アール)の田を与えています。5才以下には与えられません。
 
死んだ人の分の田は、国に返します。
 
これらの制度を<span style="color:red"><big>班田収授法</big></span>(はんでんしゅうじゅんほう)と言い、唐の均田制(きんでんせい)に習った制度である。
 
 
* <big>租</big>(そ)・<big>庸</big>(よう)・<big>調</big>(ちょう)
税(ぜい)の種類です。
 
<span style="color:red"><big>租</big></span>(そ)とは、田の収穫量の、およそ <span style="color:red"><big>3%の稲</big></span> を国に納めよ(おさめよ)、という税です。
<big>調</big>とは、絹や地方の特産物を国に納めよ、という税です。
 
<big>庸</big>(よう)とは、都に出てきて年10日以内の労働をせよという労役(ろうえき)か、または布を納めよ、という税です。
 
前提として、公地公民(こうちこうみん)や班田収授(はんでんしゅうじゅ)などが必要です。
 
 
* 国・郡・里
<div style="font-size:120%;">
<pre>
      国 (国司)
      ┃
      郡 (郡司)
      ┃
      里 (里長)
 
</pre>
</div>
政府の組織や、地方行政の組織にも、改革が加わります。
まず、日本全国をいくつかの 国(くに) に分けて管理し、国は郡(こおり)に分けられ、郡は里(さと)に分けられます。
 
国には、中央の朝廷から、<span style="color:red"><big>国司</big></span>(こくし)という役人が派遣され、この国司によって、それぞれの国が管理されます。
 
郡を管理する役職は、<span style="color:red"><big>郡司</big></span>(ぐんじ)という役職の役人に管理させます。たいてい、その地方の豪族が郡司です。
 
== 国際情勢 ==
124 ⟶ 70行目:
白村江の戦い にやぶれた日本は、国内の政治に集中します。中大兄皇子は、唐と新羅の攻撃にそなえるため、九州の防備を強化します。九州北部に <span style="color:red"><big>防人</big></span>(さきもり) という防衛(ぼうえい)のための兵士たちを置き、<big>水城</big>(みずき)という水の満たされた濠(ほり)を持った土塁(どるい)が築かれた防御地点をいくつも作ります。
 
(※ 発展的な話題: )九州で国防の拠点になった太宰府(だざいふ)の背後には、山があり、その山頂に大野城(おおのじょう)があります。このような、山にあるお城のことを一般に、山城(やましろ)という。(※ 中学歴史の日本文教出版、教育出版の教科書で紹介の話題。)
 
667年に、中大兄皇子は都を 大津宮(おおつのみや) に移します。大津宮の場所は、今でいう滋賀県の近江(おうみ)です。それ以前の都は、奈良の飛鳥(あすか)地方にありました。
262 ⟶ 209行目:
 
* 地方の人事
 
<div style="font-size:120%;">
<pre>
      国 (国司)
      ┃
      郡 (郡司)
      ┃
      里 (里長)
 
</pre>
</div>
政府の組織や、地方行政の組織にも、改革が加わります。
まず、日本全国をいくつかの 国(くに) に分けて管理し、国は郡(こおり)に分けられ、郡は里(さと)に分けられます。
 
国には、中央の朝廷から、<span style="color:red"><big>国司</big></span>(こくし)という役人が派遣され、この国司によって、それぞれの国が管理されます。
 
郡を管理する役職は、<span style="color:red"><big>郡司</big></span>(ぐんじ)という役職の役人に管理させます。たいてい、その地方の豪族が郡司です。
 
また、地方の役所を図にまとめると、次のようになる。
<div style="font-size:120%;">
273 ⟶ 238行目:
中央貴族を国司に任命し、地方豪族を郡司に任命することが多かった。
 
また、地方と都との連絡のために、駅(えき)がつくられた。駅には、馬とその乗り手が配置され、伝令の仕事をした。(※ 中学の帝国書院の教科書や、高校の清水書院の教科書などで紹介の話題。)
班田収授や、租庸調(そようちょう)も定められた。
 
== 農民などの暮らし ==
大宝律令のころに、班田収授や租庸調(そようちょう)も定められた。
 
* <span style="color:red"><big>班田収授</big></span>(はんでんしゅうじゅ)
人民の<big>戸籍</big>(こせき)を作り、人民に耕作をさせるための<span style="color:red"><big>口分田</big></span>(くぶんでん)という田を与え耕作させます。
 
この当時の戸籍とは、人民をひとりずつ、公文書に登録することで、住所や家族の名や年齢、家の世帯主、などを把握することです。
 
この飛鳥時代に、すでに「戸籍」という言葉がありました。
 
このような情報の管理は、税をとることが目的です。税の台帳である<big>計帳</big>(けいちょう)をつくるため、戸籍が必要なのです。
 
現在の日本での戸籍とは、「戸籍」の意味が少しちがうので、注意してください。「計帳」という言葉は、この飛鳥時代の言葉です。詔の本文に書かれています。
 
詔の本文に、「初造戸籍計帳班田収授之法。」とあります。現代風に読みやすく区切りを入れれば、「初 造 戸籍 計帳 班田収授之法。」とでも、なりましょう。
 
 
目的は、収穫から税収をとるためです。前提として、公地公民が必要です。
6年ごとに人口を調査します。
税を取るにも、まずは人口を正しく把握しないと、いけないわけです。女にも口分田(くぶんでん)が与えられます。
 
原則として、<span style="color:red"><big>6才以上の男女</big></span>に田を与えます。男(6才以上)には2反(720歩=約24アール)の田を与え、女(6才以上)には男の3分の2(480歩=約16アール)の田を与えています。5才以下には与えられません。
 
死んだ人の分の田は、国に返します。
 
これらの制度を<span style="color:red"><big>班田収授法</big></span>(はんでんしゅうじゅんほう)と言い、唐の均田制(きんでんせい)に習った制度である。
 
 
* <big>租</big>(そ)・<big>庸</big>(よう)・<big>調</big>(ちょう)
税(ぜい)の種類です。
 
<span style="color:red"><big>租</big></span>(そ)とは、田の収穫量の、およそ <span style="color:red"><big>3%の稲</big></span> を国に納めよ(おさめよ)、という税です。
<big>調</big>とは、絹や地方の特産物を国に納めよ、という税です。
 
<big>庸</big>(よう)とは、都に出てきて年10日以内の労働をせよという労役(ろうえき)か、または布を納めよ、という税です。
 
前提として、公地公民(こうちこうみん)や班田収授(はんでんしゅうじゅ)などが必要です。