「高等学校日本史B/律令国家への道」の版間の差分

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郡を管理する役職は、<span style="color:red"><big>郡司</big></span>(ぐんじ)という役職の役人に管理させます。たいてい、その地方の豪族が郡司です。
 
 
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* 税について。<span style="color:red"><big>墾田永年私財法</big></span>(こんでん えいねん しざい の ほう)
この時代に農民は貧しくて、税の負担は重く生活が苦しく、多くの農民は竪穴住居に住んでいた。<span style="color:red"><big>山上憶良</big></span>(やまのうえの おくら)のよんだ<span style="color:red"><big>貧窮問答歌</big></span>(ひんきゅう もんどうか)には、このころの農民の苦しい生活のさまが歌われている。
 
    *
:貧窮問答歌(要約)
::人並みに田畑の仕事で働いているのに、服はボロボロなのを着ていて、家はつぶれて曲がっているようで、地面にはワラを直接に敷いている。父母は私のマクラのほうで嘆き悲しみ、妻子は私の足のほうで嘆き悲しんでいる。かまどには煙も立てられず、こしき(米の蒸し器)にはクモが巣を張り、飯をたくことも忘れてしまったというのに、それでもムチを持った里長(さとおさ)が税を取り立てようとする声が、寝屋まで聞こえる。こんなにも、つらい事なのか、世の中に生きることは。
 
::世の中を 憂しとやさしと 思えども 飛び立ちかねつ とりにしあらねば
::(世の中を、つらくて身もやせるほどだと思っても、鳥では無いから、飛び立つこともできない。)
 
 
また、人口が増えたので口分田は不足した。国の仕組みが整うにつれて、税の仕組みも整い、税の負担は重く、口分田を捨てて逃げ出す農民が増えた。なお、この時代に鉄製の農具が普及してきて、農業の生産力が上がった。
 
朝廷は税を増やすため、田を増やす必要があり、そのため、法律を変え、開墾した3代にわたり、田を所有できるように法を制定した。これが <big>三世一身の法</big>(さんぜい いっしん の ほう) であり723年の出来事である。
 
さらに743年(天平15年)には、期限が無く所有し続けられる <span style="color:red"><big>墾田永年私財法</big></span>(こんでん えいねん しざい の ほう) が制定された。
 
これは、つまり公地公民の原則を廃止したことになる。
 
また、貴族や豪族は、これを利用し、私有地を広げた。この貴族の私有地は、のちに <big>荘園</big>(しょうえん) と呼ばれることになる。
 
 
*貨幣(かへい)、和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)
[[File:Wadokaichin coin 8th century Japan.jpg|thumb|left|200px|和同開珎]]
経済では、この奈良時代の都では、<span style="color:red"><big>和同開珎</big></span>(わどうかいちん、わどうかいほう)という貨幣が708年(和同元年)に発行され、流通していました。
これより古い貨幣には、7世紀後半の天武天皇の頃に富本銭(ふほんせん)という貨幣がつくられています。
 
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