「高等学校日本史B/院政期の文化」の版間の差分

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この時代、歴史への関心が高まり、『'''大鏡'''』(おおかがみ)や『今鏡』(いまかがみ)などの歴史物語がつくられた。また、藤原道長の逸話を書いた『'''栄花物語'''』(えいがものがたり)も書かれた。いっぽう、『大鏡』は、藤原氏に批判的な視点で書かれている。
 
また、『大鏡』や『栄花物語』の文体は、仮名(かな)書きである。
 
また、新興勢力である武士への関心が高まったことから、軍記物への関心も高まり、平将門の乱を書いた『'''将門記'''』(しょうもんき)や、保元の乱を書いた『陸奥話紀』(むつわき)も書かれた。
 
また、'''絵巻物'''(えまきもの)がつくられ、『'''源氏物語絵巻'''』や『伴大納言絵巻』(ばんだいなごん えまき)、『鳥獣戯画』(ちょうじゅうぎが)もつくられた。
 
当時の民間の流行の歌謡のひとつに'''今様'''(いまよう)というのが、あった。後白河は今様を好み、『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)を編纂した。
 
このほか、民間では、田楽(でんがく)や猿楽(さるがく)などの芸能も流行していた。
 
これらの歌謡は芸能は、貴族のあいだでも流行していた、という。
 
 
インド・中国(チャイナ)・日本の仏教説話をあつめた『'''今昔物語'''』(こんじゃく ものがたり)もつくられた。
 
建築物では、この時代に奥州藤原氏によって、'''中尊寺金色堂'''(ちゅうそんじ こんじきどう)が平泉(ひらいずみ)に建てられた。
 
このほか、各地の豪族により、陸奥に白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)、九州に富貴寺大堂(ふきじ おおどう)などが建てられた。
 
(これらの建築物の分布からも推測できるように、)この時代には、日本全国の各地に仏教や浄土教が普及していった、と考えらている。
 
 
また、平家が厳島神社(いつくしまじんじゃ)に納経した『平家納経』にも、絵画が描かれている。
 
[[ファイル:Fan paper album Shitennoji.JPG|300px|right|thumb|『扇面古写経』(大坂、四天王寺)この紙には書かれてないが、ほかの紙には、京都の市中での庶民のようすが描かれたのもある。]]
『扇面古写経』に、絵画あり。