「高等学校日本史B/織田信長・豊臣秀吉」の版間の差分

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本能寺の変 〜 伊達政宗の秀吉への降伏 あたりまで記述。
 
楽市楽座について。
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;楽市楽座について
最初に楽市を始めた人物は、じつは信長ではない可能性がある。(信長以前にも「楽市」という用語があったが、当時はその語句は注目されておらず、信長以前の「楽市」政策の実態がまだ解明されてない。)
 
1549年に近江(おうみ、現在の滋賀県あたり)の大名の六角氏が、戦国時代でおそらく最初に「楽市」を始めたとも思われている。
そのほか、駿河では今川義元や子の今川氏真が、領地で楽市のような政策をしていたとも、思われている。
 
いっぽう、「楽座」という用語を最初に始めたのが、おそらく信長だと思われている。要するに、楽座のない「楽市」だけの経済政策をする大名なら、信長の前にも、そこそこ、いたようだ。
 
すでに楽市という用語があって、信長はさらに「楽座」という用語を付けくわえたわけだから、今迄の楽市よりも、いっそう信長は、規制緩和をすすめたと考えるのが、妥当だろう。
 
「座」(ざ)というのは、同業者組合のこと。「楽座」の以前は、商人は加入料や営業税を(地元の領主や、座の責任者などに)払って、その業種の「座」に入らないと、営業を行えない場合があった。信長は、その「座」による規制を緩和したということ。
 
== 秀吉の天下統一へ ==
 
1582年、本能寺の変が起きて信長が死んだ。