「高等学校日本史B/室町幕府の展開」の版間の差分
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3代将軍 義満の子の足利義持(よしもち)は義満から将軍職を任命された。4代将軍 足利義持は、父 義満の没後に、朝貢という形式を嫌い明と断交した。(しかし、のちに6代将軍 義教(よしのり)の代に貿易および国交を再会した。義教は、幕府の財政安定のためと、自身の権威確立(明から日本の将軍は「日本国王」とみなされた)のため、貿易を再会した。)
6代将軍はクジ引きで選ばれ、足利義教(あしかが よしのり)が6代将軍になった。義教は、将軍権力の強化をねらって、1438年に関東に大軍を派遣して、長年対立してきた鎌倉公方(かまくらくぼう)足利持氏(あしかが もちうじ)を滅ぼした(永享の乱)。
しかし、1141年に播磨(はりま)守護の赤松満祐(あかまつ みつすけ)によって義教は謀殺された( 嘉吉の変(かきつのへん))。まもなく、赤松氏は、幕府軍によって討伐された。
義教の死後、将軍の権力は失墜し、以降の足利将軍は、強力な指導力を持てなかった。
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