「高等学校日本史A」の版間の差分

(→‎ペリー来航: 内容追加)
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従来、幕府の政治は将軍と譜代大名で主に行っていた。しかし、ペリーの来航によって日本全体が外国の脅威に晒されることになり、老中'''阿部正弘'''は方針を変えて朝廷や外様・親藩大名を含む幅広い人から意見を聞くことにした。そして、前水戸藩主'''徳川斉昭'''(親藩)を'''海軍参与'''として幕政に参画させた。また、江戸湾に海上砲台('''台場''')を築き、長崎に'''海軍伝習所'''を設置した。さらに、江戸に'''蕃書調所'''(前'''洋学書''')や'''講武所'''をもうけ、大艦建造の解禁、製鉄所の建設(横須賀、長崎)、造船所の建設(江戸石川島)を行った。この頃、'''勝海舟'''(幕府海軍創設)、'''江川英龍'''(伊豆韮山に反射炉建設)、'''高島秋帆'''(砲術の指南)らが登用された。この一連の改革を'''安政の改革'''という。
 
===日米修交通商条約===
===安政の大獄===
1856(安政3)年、アメリカ総領事'''ハリス'''が下田に着任し、アロー戦争でのイギリスの動きを背景に通商条約の締結を求めた。この時の老中'''堀田正睦'''は、'''孝明天皇'''に調印の勅許を求めたが得られず、失脚した。しかし、大老'''井伊直弼'''は勅許を得られないまま1858(安政5)年、'''日米修交通商条約'''に調印し、ついで蘭・露・英・仏とも同様の条約を結んだ('''安政の五カ国条約''')。
 
==第二章 立憲国家==