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==第一章 明治維新==
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===貿易の影響===
1859(安政6)年から貿易が始まり、その中心港は'''横浜'''で、取引全体のおよそ3分の2を占めていた。また、アメリカは南北戦争のために貿易に手が回らず、取引の相手国としては'''イギリス'''がトップとなった。
日本の輸入品は'''毛織物'''や'''綿織物'''が70%以上を占め、輸出品は'''生糸'''や'''茶'''、'''蚕卵紙'''がほとんどだった。
貿易が始まってから1866年までの7年間は大幅な輸出超過であり、国内の物価の高騰をまねいた。幕府は1860(万延元)年、'''五品江戸廻送令'''を出し、雑穀・水油(菜種油)・蝋・呉服・生糸の5品は必ず江戸の問屋を経由させてから輸出するようにした。
また、日本と外国とでは金銀の交換比率がことなっていたので、大量の金が流出してしまった。そこで幕府は、質を大幅に下げた万延小判を鋳造した('''万延貨幣改鋳''')が、かえって物価の上昇を加速させてしまった。
輸出による生糸の需要増加は製糸業でのマニフェクチュア化を進めたが、安価な綿布の輸入によって国内の綿産業は深刻な打撃を受けた。
 
===安政の大獄===
この頃、病弱で跡継のいなかった13代将軍'''徳川家定'''の後継者問題が起こった。血統の近い紀伊藩主'''徳川慶福'''を推す'''南紀派'''は、従来の将軍及び譜代大名による幕閣独裁を維持したい譜代大名らが属し、その中心は'''井伊直弼'''であった。これに対して、水戸の'''徳川斉昭'''・越前の'''松平慶永'''(以上親藩)・薩摩の'''島津斉彬'''・土佐の'''山内豊信'''(以上外様)ら外様・親藩の有力大名らは実力のある'''一橋慶喜'''を推した('''一橋派''')。