「高等学校日本史A」の版間の差分

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==第一章 明治維新==
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===安政の大獄===
この頃、病弱で跡継のいなかった13代将軍'''徳川家定'''の後継者問題が起こった。血統の近い紀伊藩主'''徳川慶福'''を推す'''南紀派'''は、従来の将軍及び譜代大名による幕閣独裁を維持したい譜代大名らが属し、その中心は'''井伊直弼'''であった。これに対して、水戸の'''徳川斉昭'''・越前の'''松平慶永'''(以上親藩)・薩摩の'''島津斉彬'''・土佐の'''山内豊信'''(以上外様)ら外様・親藩の有力大名らは実力のある'''一橋慶喜'''を推した('''一橋派''')。
南紀派の井伊直弼が大老に就任したことで南紀派の勝利となり、徳川慶福が改名して14代将軍'''徳川家茂'''となった。
1858(安政5)年、井伊直弼は、対立する一橋派や、尊王攘夷派を弾圧した('''安政の大獄''')。このとき、長州藩士'''吉田松陰'''や越前藩士'''橋本左内'''らは死罪に、'''一橋慶喜'''や水戸藩の'''徳川斉昭'''らは蟄居処分となった。
この厳しい弾圧に憤激した水戸藩出身の浪士たちは1860(万延元)年、井伊を江戸城桜田門外で暗殺した。この事件を'''桜田門外の変'''という。
 
 
===公武合体運動と尊王攘夷運動===
桜田門外の変後、幕藩体制を維持するために、開明的な幕臣や有力大名たちは朝廷と幕府の融和によって政局を安定させようとした。老中'''安藤信正'''は、攘夷の決行を条件に孝明天皇の妹'''和宮'''を家茂と結婚させたが、反対派によって襲われ負傷した('''坂下門外の変''')。