「高等学校日本史B/経済恐慌と中国侵略」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
74 行
浜口内閣は、外相に幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)を起用し、協調外交の観点からロンドン海軍軍縮条約を締結した。
 
しかし軍部は、この条約締結を、'''統帥権の干犯'''(とうすいけんのかんぱん)だとして浜口内閣を批判した。
 
1930年、浜口首相は東京駅で右翼青年に狙撃されて重傷を負い、翌年に死亡した。