「高等学校世界史B/17〜18世紀のヨーロッパの文化と社会」の版間の差分

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なお、フランシスコ=ベーコン(1561年生まれ)と名前の似ているロジャー=ベーコン(1214年生まれ)は、スコラ学の学者であり、中世のルネサンスなどを通じて得られたイスラーム科学の情報に詳しく、ロジャーは実験や観察の重要性を主張した。 スコラ学者のなかにも、ロジャー=ベーコンのように、現実的で改革的な人もいた。
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デカルトは、彼の主張する合理的な思考法として、(wikibooks読者にとっては、中学の幾何学の証明のように)もし仮説や予想を主張するさいには、(幾何学の5つの公理のように、だれもが認めざるをえない)一般法則をもとに、論証によって派生的な事例の予想をすべしというような思考法である'''演繹法'''(えんえきほう)を主張した。(おそらくは、(読者が中学で習うような)幾何学の証明法をデカルトは参考にしたのだろう。)
 
いっぽう哲学では、哲学者'''ベーコン'''(フランシス=ベーコン)が、(少し前の時代のガリレオなどの物理の研究を尊重してか)観察や実験を重んじる'''経験論'''を主張した。(彼らの主張した経験論によると、一般法則を導くさいには、観察や実験をもとに、帰納法によって、法則を導くべき・・・らしい。)「知は力なり」の格言も、フランシス=ベーコンによる格言である。(※ 『倫理』科目のほうで格言が出てくる。2018年センター『倫理・政治経済』に出題。)
 
(※ ロジャー=ベーコンとは別人。 『[[高等学校世界史B/中世ヨーロッパの文化]]』。ロジャーもまた、実験を重んじるべきと主張しており、まぎらわしい。)
 
:※ このスコラ学批判は、けっしてwikibooksの独自研究ではなく、山川出版の『高校倫理』(平成26年2月25日発行、134ページ)にも、F.ベーコンやデカルトなどが哲学書を書いた経緯としてスコラ学批判という事情が書かれている。
 
{{コラム|「帰納法」とは|
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物理学では、多くの実験によって帰納法的に法則を導くが、しかし、上述のりんごの例のように帰納法だけでは、正しい結論を導くには不十分である。正しい結論を導くには、帰納法と演繹法の両面から、検証をしなければならない。
 
なお、1561年生まれのフランシス=ベーコン(イギリス人)と、1564年生まれのガリレイ(イタリア人)は、同じころの時代に生きたが、しかし国が離れており、交友があったわけではない。
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{{コラム|デカルト、ベーコンらは「スコラ学はクソ学問だ」と思ってそう|
フランシス=ベーコンの職業は法律職でもあり、国会議員でもあったりして、ベーコンのいう「帰納法」などは、おそらく、法改正などの改革の必要性を念頭においており、「古典や文献に書いてあっただけの机上の空論ではなく、現実を受け入れよ」という、旧態依然とする既得権益に対する批判的な意味があるのだろう。きっと、ベーコンが著書で批判した既得権益のなかには、当時の既存の哲学者も含まれるだろう。
 
実際、ベーコンの言う「帰納法」の背景事情として、キリスト教神学の(聖書などの)古典研究的な「スコラ学」という学問体系を、(スコラ学の当初はともかく)もはやスコラ学は形骸化したものだとして、ベーコンは著書『学問の進歩』でスコラ学を批判したという背景がある。
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なお、そのスコラ学とは、11世紀ごろから流行した学問で、タテマエでは特定の思想や哲学をもたず学問的に古典などを研究しようという方法だったが、しかし、実態はキリスト教中心の神学であり、神学の権威をギリシア哲学などで補強しようという実態だった。
 
なお、フランシス=ベーコン(1561年生まれ)と名前の似ているロジャー=ベーコン(1214年生まれ)は、スコラ学の学者であり、イスラーム科学の情報に詳しく、ロジャーは実験や観察の重要性を主張した。
 
スコラ学者のなかにも、ロジャー=ベーコンのように、現実的で改革的な人もいた。しかし、ロジャーは、アラブ思想を広めたという罪によって、キリスト教フランシスコ会によって逮捕され投獄されてしまった
 
のちの時代にスコラ学がフランシス=ベーから批判されるという事は、つまり、おそらくはロジャーの没後のころから、やがてしだいに残りのスコラ学者は机上の空論ばかりを主張するような人ばかりになったのだろう。
 
1561年生まれのフランシス=ベーコンが「帰納法」という擁護を明示する前から、 1473年生まれのコペルニクスなどの科学者がとっくの昔に、帰納法的に観測事実にもとづいて地動説を発見しており、べつに帰納法による思考法はベーコンの発明ではない。ベーコンは用語を発明しただけであろう
 
じつはところで、哲学では、「経験主義」と「合理主義」の対立がある。「経験」とは、言葉だけを見れば、物理学などの実験も含まれるが、しかし実態は、「経験主義」は、たびたび体験主義とはき違えられ、感覚主義に陥った。
 
デカルト(フランス人)は1596年生まれであるが、デカルトは「合理主義」に分類される。デカルトが「帰納法」でなく「演繹法」を重視したのは、もしかしたら、ともすれば感覚主義に陥りがちな自称「経験主義」(笑)への反発があってのことだろう。
 
デカルトは合理主義に分類される。いっぽう、フランシス=ベーコンは経験論に分類される。
 
だが、私たちが哲学思想史の理解を深めるには、スコラ学批判と言う両者の文脈をもとに考える必要があり、形式的に分類を見るだけでは不十分である。
 
経験論も合理論も、学問の改革の方法として提案されたという経緯を、私たちは知る必要がある。
 
 
デカルトのような数学者からすれば、おそらく、デカルトにとっては帰納法だろうが演繹法だろうが、数学的に正しい公式さえ発見できればどちらの思考法でも良いと思っているだろう。おそらくデカルトは、単に、当時のスコラ学と数学とを、一緒にされたくなかったのだろう。感覚主義的な自称「経験主義」(笑)の自称「帰納法」(笑)なんかが数学に持ち込まれたら、デカルトは困るので、アンチテーゼとして「演繹法」を主張したにすぎないのだろう。