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資本論英語版
https://www.marxists.org/archive/marx/works/1867-c1/ch01.htm
 
==修正予定==
[[高等学校世界史B/17〜18世紀のヨーロッパの文化と社会]]のコラムを修正予定。専攻が近代哲学だから私もスコラ哲学には批判的だが、あまりにもこれはひどすぎる。デカルトの理解も一面的に過ぎる。
 
{{コラム|デカルト、ベーコンらは「スコラ学はクソ学問だ」と思ってそう|
フランシス・ベーコンの職業は法律職でもあり、国会議員でもあったりして、ベーコンのいう「帰納法」などは、おそらく、法改正などの改革の必要性を念頭においており、「古典や文献に書いてあっただけの机上の空論ではなく、現実を受け入れよ」という、旧態依然とする既得権益に対する批判的な意味があるのだろう。きっと、ベーコンが著書で批判した既得権益のなかには、当時の既存の哲学者も含まれるだろう。
 
実際、ベーコンの言う「帰納法」の背景事情として、キリスト教神学の(聖書などの)古典研究的な「スコラ学」という学問体系を、(スコラ学の当初はともかく)もはやスコラ学は形骸化したものだとして、ベーコンは著書『学問の進歩』でスコラ学を批判したという背景がある。
 
なお、そのスコラ学とは、11世紀ごろから流行した学問で、タテマエでは特定の思想や哲学をもたず学問的に古典などを研究しようという方法だったが、しかし、実態はキリスト教中心の神学であり、神学の権威をギリシア哲学などで補強しようという実態だった。
 
なお、フランシス・ベーコン(1561年生まれ)と名前の似ているロジャー・ベーコン(1214年生まれ)は、スコラ学の学者であり、イスラーム科学の情報に詳しく、ロジャーは実験や観察の重要性を主張した。
 
スコラ学者のなかにも、ロジャー・ベーコンのように、現実的で改革的な人もいた。しかし、ロジャーは、アラブ思想を広めたという罪によって、キリスト教フランシスコ会によって逮捕され投獄されてしまった。
 
のちの時代にスコラ学がフランシス・ベーコンから批判されるという事は、つまり、おそらくはロジャーの没後のころから、しだいに残りのスコラ学者は机上の空論ばかりを主張するような人ばかりになったのだろう。
 
1561年生まれのフランシス・ベーコンが「帰納法」という擁護を明示する前から、 1473年生まれのコペルニクスなどの科学者がとっくの昔に、帰納法的に観測事実にもとづいて地動説を発見しており、べつに帰納法による思考法はベーコンの発明ではない。ベーコンは用語を発明しただけであろう。
 
ところで、哲学では、「経験主義」と「合理主義」の対立がある。「経験」とは、言葉だけを見れば、物理学などの実験も含まれるが、しかし実態は、「経験主義」は、たびたび体験主義とはき違えられ、感覚主義に陥った。
 
デカルト(フランス人)は1596年生まれであるが、デカルトは「合理主義」に分類される。デカルトが「帰納法」でなく「演繹法」を重視したのは、もしかしたら、ともすれば感覚主義に陥りがちな自称「経験主義」(笑)への反発があってのことだろう。
 
デカルトは合理主義に分類される。いっぽう、フランシス・ベーコンは経験論に分類される。
 
だが、私たちが哲学思想史の理解を深めるには、スコラ学批判と言う両者の文脈をもとに考える必要があり、形式的に分類を見るだけでは不十分である。
 
経験論も合理論も、学問の改革の方法として提案されたという経緯を、私たちは知る必要がある。
 
 
デカルトのような数学者からすれば、おそらく、デカルトにとっては帰納法だろうが演繹法だろうが、数学的に正しい公式さえ発見できればどちらの思考法でも良いと思っているだろう。おそらくデカルトは、単に、当時のスコラ学と数学とを、一緒にされたくなかったのだろう。感覚主義的な自称「経験主義」(笑)の自称「帰納法」(笑)なんかが数学に持ち込まれたら、デカルトは困るので、アンチテーゼとして「演繹法」を主張したにすぎないのだろう。
 
またデカルトは著書『方法序説』(ほうほう じょせつ)で、「神の存在証明」をしてみせたと主張しているのだが、これだって別に教会やスコラ学を信奉してるのではなく、むしろ不信感を抱いてるからこそ、皮肉として、手続き的な推論によって神を証明してみせたのだろう。
}}
 
 
{{コラム|デカルト『方法序説」|
デカルトの格言とされる「われ思う、ゆえにわれあり」は、デカルト著『方法序説』に書かれているが、
じつはその格言は、デカルト本人にとって、割とどうでもいい事である。
 
この『方法序説』は、科学研究の方法論について書かれた書物であり、その主張内容も、
 
:1:『明証』 (幾何学の公理のような)絶対に正しいと思えるものだけを前提に推論しなさい。
:2:『分析』 問題はなるべく、分割して、単純で簡単な問題に分けて考えなさい。(現代でいう「モジュール化」)
:3:『総合』 「分析」し終わってから(小分けに分割した検証し終わったら)、それら小分けにした問題を組み立てなさい。(モジュールの組み立て)
:4:『枚挙』 検証を、例外なく全て(枚挙)、行いなさい。 (自分勝手に例外を設置するゴマカシは許さない。)
 
といったように、科学研究のための思考法の紹介である。
 
背景として、おそらくデカルトの心中に「スコラ学って、ぜんぜん、こういう論理的な思考法が出来てないよね~」というような、スコラ学への不信感があるのだろう。
 
 
つまり、おそらくデカルトの心中に、スコラ学への疑念として、
:1:『明証』 スコラ学はそもそも前提が大昔の聖書や流行した古典にもとづいており、前提がオカシイ。
:2:『分析』 スコラ学は馬鹿のくせに、問題を小分けにしようとせず、見栄を張って、問題を大問題のまま解決しようとする。(怠け者なので「モジュール化」できない)
:3:『総合』 スコラ学者どもは、物事を分類しただけで、組み立てようとせず、ほったらかしに放置したりする。あるいは、2『分析』の段階で、のちに組み立てられるように分解してない。(馬鹿なので、モジュール組み立てが出来ない。)
:4:『枚挙』 スコラ学者は検証の際、自分勝手な都合で例外を設置する。
 
という不信感があるわけだろう。
 
 
また、デカルトは、「(幾何学の公理のような)絶対に正しいと思えるものだけを前提に推論しなさい。」のような思考法に必要な知性のことを、「理性」ではなく「良識」(ボン=サンス)と言っている。
 
そしてデカルトは著書で、その「良識」の性質を述べた後にデカルトは数学的思考法を述べるのだから、つまり、デカルトの本音は、数学こそが良識である、というのが本音であろう。
 
つまり、スコラ学や教会などが道徳として説いているアレは、「良識」ではないだろ、という背景がある。おそらくデカルト流の、「コペルニクスやガリレオを弾圧するような教会の連中なんかに、良識があるわけないだろ」という皮肉だろう。
 
また、デカルトは「良識」は、すべての人に分配されている、と言っている。つまり、教会の説いているアレは、特定の既得権益に都合のいい理念にすぎず、けして真理ではない、という教会への不信感だ。
 
そしてコペルニクスやガリレオを弾圧するような自分勝手な既得権益の連中は、たいてい、数学が出来ない連中ばかりである、・・・・とデカルトは感じているのだろう。
 
そういう視点で「われ思う、ゆえに我あり」を解釈しなおせば、本音は「わたしは神のためにあるのではなく、ましてや教会やスコラ学のために私があるのではない」という、皮肉だろう。
 
 
そもそも、まともな文献ってのは、分析しやすいように(課題をモジュール化しやすいように)系統立てて章立てをされたり段階的にテーマを設けて作られているし、数学の論文とかもそう記述されるし、だからモジュール化しづらい記述方法をされている文献ってのは、例外として古典の史料を除けば、そもそも学問的な価値が低い文献なんですよ。
 
膨大な過去の文献を読まないと全体像がつかめずに研究を始められないような学問(スコラ学みたいな三流学問)は、そもそも、価値が低いんですよ。
 
だから、そういう文献をありがたがってる連中(スコラ学者)は、そもそも頭が悪い。
 
デカルトの時代になってまで、もはやスコラ学とかの研究をやってる連中は、実際に未知の課題を解決するのが目的じゃなくって、勉強している自分に陶酔してるだけの馬鹿なんですよ。
 
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