「高等学校世界史探究/第二次世界大戦と新しい国際秩序の形成 学習のポイント」の版間の差分

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ナチスドイツに対する英仏などの宥和政策
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ドイツで皇室が消えたことにより議会の力が強まったという背景が、政治家ヒトラーが台頭(たいとう)しやすかったという理由の一つでしょう。
 
 
== ナチスドイツに対する英仏などの宥和政策 ==
次の章で、ナチスについて説明するが、
 
のちの第二次大戦で、最終的にイギリス・フランスはドイツと戦争をするが、じつは戦争前は当初、ドイツの再軍備などを容認する宥和(ゆうわ)政策の方針であった。
 
また、ソ連に対抗するためにドイツと協力すべきと言う意見も、英仏にあった。(※ これは中学の歴史教科書で、清水書院がそう言ってる。また、社会人向けの山川出版『もういちど読む』シリーズの世界近代史でも、触れている。)
 
二次大戦は結果的に ファシズム 対 反ファシズム の構図となり、英仏は二次大戦を反ファシズムの戦争と位置づけるが、実は当初は英仏は政治・外交方針として反ファシズムは意図してはいなかった。
 
結果的に第二次大戦でイギリスなど連合国はチェコなど東欧諸国のためにも戦うことになるが、じつは戦前の対ドイツとの宥和政策時の当初のイギリスの方針は、チェコなど東欧諸国に負担と犠牲を強いる方針であった。(※ これは『もういちど読む』シリーズで、山川出版の世界近現代史の教材がそう言ってる。)
 
また、ソ連側も、英仏の反ソ連のこういう方針を感づいているので、ドイツと協力的な時期もあり、ドイツとソ連が独ソ不可侵条約を結んだ時期(1939年)もあった。また、もしかしたら、のちの第二次世界大戦のドイツとソ連の共同のポーランド分割には、そういう背景があるかもしれない。
 
 
 
== ナチスの台頭 ==