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椎楽 (トーク | 投稿記録)
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{{コラム|近代的な思想はスコラ学の批判から始まった|
(全体的なツッコミ:『方法序説』コラムよりは誤解・誤読は少ないが、内容が錯綜としている。主執筆者の某氏自身がちゃんと理解を整理できていないのだろう)
フランシス・ベーコンの職業は法律職でもあり、国会議員でもあったりして、ベーコンのいう「帰納法」などは、おそらく、法改正などの改革の必要性を念頭においており、「古典や文献に書いてあっただけの机上の空論ではなく、現実を受け入れよ」という、旧態依然とする既得権益に対する批判的な意味があるのだろう。きっと、ベーコンが著書で批判した既得権益のなかには、当時の既存の学者も含まれるだろう。
 
フランシス・ベーコンの職業は法律職でもあり、国会議員といった今で言う政治家あったりして、ベーコン。そいう「帰納法」などは、おそらくため、法改正などの改革の必要性を念頭においており、「古典や文献に書いてあっただけの机上の空論ではなく、現実を受け入れよ」という、旧態依然とする既得権益学問に対する批判的な意味があるのだろう。きっと、ベーコンが著書で批判した既得権益のなかには、当時の既存の学者も含まれるだろう。
実際、「帰納法」の背景事情として、当時はまだキリスト教神学の(聖書などの)古典研究的な「スコラ学」という学問体系を、(スコラ学の当初はともかく)もはやスコラ学は形骸化したものだとして、ベーコンは著書『学問の進歩』でスコラ学を批判したという背景がある。
 
実際、「帰納法」の背景事情として、当時はまだキリスト教神学の(聖書などの)古典研究的な「スコラ(哲)学」という学問体系を、(スコラ学当初はとも主流であった。しく)し、もはやスコラ学は形骸化したものだとして、ベーコンは著書『学問の進歩』でスコラ学を批判したという背景がある。
なお、そのスコラ学とは、11世紀ごろから流行した学問で、タテマエでは特定の思想や哲学をもたず学問的に古典などを研究しようという方法だったが、しかし、実態はキリスト教中心の神学であり、神学の権威をギリシア哲学などで補強しようという実態だった。
 
なお、そのスコラ学とは、11世紀ごろから流行した学問で、タテマエでは特定の思想や哲学をもたず学問的に古典などを研究しようという方法だったが、しかし、実態は当時の西欧で学問のできるところといえば教会(修道院)であり、スコラ学とキリスト教中心とは切り離せないも神学であった。そして最も重視されたのはキリスト教神学の権威をギリシ哲学などで補強しうという実態る体系化・理論化だった。
なお、フランシス・ベーコン(1561年生まれ)と名前の似ているロジャー・ベーコン(1214年生まれ)は、スコラ学の学者であり、イスラーム科学の情報に詳しく、ロジャーは実験や観察の重要性を主張した。
 
さて、フランシス・ベーコン(1561年生まれ)と同姓のロジャー・ベーコン(1214年生まれ)という人物がいる。彼はスコラ学者であり、イスラーム科学の情報に詳しく、ロジャーは実験や観察の重要性を主張した。スコラ学者のなかにも、ロジャー・ベーコンのように、現実的で改革的な人もいた。しかし、ロジャーは、アラブ思想を広めたという罪によって、キリスト教フランシスコ会によって逮捕され投獄されてしまった。
 
のちの時代にスコラ学がフランシス・ベーコンから批判されるという事は、つまり、おそらくはロジャーの没後のころから、しだいに残りのスコラ学者は机上の空論ばかりを主張するような人ばかりになったのだろう。