「高等学校日本史B/徳川幕府の成立」の版間の差分

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『高等学校日本史B/幕藩体制の展開』に移動した内容(4代目 家綱 以降)を除去。
大御所について。
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:※ 中学校で習ったような内容に加え、下記の内容が追加される。
 
 
== 大名への統制 ==
== 江戸時代初期の政策 ==
=== 大名への統制 ===
大名による幕府への負担は、参勤交代のほかにも、河川改修などの土木工事などを命じられる'''手伝普請'''(てつだいぶしん)があった。江戸城や大阪城の改修などを手伝普請として命じられた藩もある。
 
=== 朝廷への統制 ===
朝廷と幕府との間の連絡役として、公家のなかから2名を選んで'''武家伝奏'''(ぶけでんそう)とし、京都所司代と連絡をとりながら、幕府の意見を朝廷に伝えた。
1629年におこった'''紫衣事件'''(しえ じけん)により、幕府はさらに朝廷への統制をつよめた。
 
=== 寺社への統制 ===
仏教に対しては'''寺院法度'''(じいんはっと)を出し、宗派ごとに本山から末寺にいたるまでを組織させた('''本末制度'''(ほんまつ せいど))。
 
1665年、神社・神職に対しても'''神社禰宜神主法度'''(じんじゃ ねぎ かんぬ しはっと)を制定して統制を行った。
 
== 大御所 ==
徳川家康(とくがわ いえやす)は1603年に将軍職をもらってから、わずか2年で息子の徳川秀忠(とくがわ ひでただ)に将軍職をゆずり(つまり1605年に秀忠に将軍職をゆずった)、将軍職が徳川家の世襲であることを示した。
 
家康自身は「大御所」(おおごしょ)と言う肩書きの職につき、家康が幕政の実権をにぎり、家康は駿府(すんぷ、いまの静岡県あたり)を拠点に幕政を指揮していた。