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(全体的なツッコミ:『方法序説』コラムよりは誤解・誤読は少ないが、内容が錯綜としている。主執筆者の某氏自身がちゃんと理解を整理できていないのだろう)
フランシス・ベーコンの職業は法律職や国会議員であり政治家だったといえる。それが「問題なのは、ただ思索上の成功だけでなく、実は人類の実情に幸福と成果をもたらすすべての力である」(『大革新』より)という宣言のもと、思弁的で霊魂や神を中心とした研究から人間や現実的なものごとについての思索と研究をすすめる動機となったのだろう。▼
▲こうした中で、イギリスではロジャー・ベーコンやオッカムといった革新的な人物が現れた。こうした学問的な流れがイギリス経験論とよばれる科学的な思考の基礎となった。イギリス経験論の始祖とされるのがフランシス・ベーコン
▲当時はまだキリスト教神学の(聖書などの)古典研究的な「スコラ(哲)学」が学問体系の主流であった。スコラ学とは、11世紀ごろから流行した学問で、タテマエでは特定の思想や哲学をもたず学問的に古典などを研究しようという方法だった。しかし、当時の西欧で学問のできるところといえば教会(修道院)であり、スコラ学とキリスト教とは切り離せないものであった。そして、最も重視されたのはキリスト教神学をギリシャ哲学による体系化・理論化だった。
[ちなみに帰納法の考え方は既に古代ギリシャのアリストテレスによって提唱されている。しかし、帰納法の考え方を科学研究に応用できることを提唱したのは、フランシス・ベーコンであった。最終的に帰納法を科学研究に用いるための原則を打ち立てたのは、ベーコンよりも100年ほど後に登場したジョン・スチュワード・ミルである。]
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デカルト(フランス人)は1596年生まれであるが、デカルトは「合理主義」に分類される。デカルトが「帰納法」でなく「演繹法」を重視したのは、もしかしたら、ともすれば感覚主義に陥りがちな自称「経験主義」への反発があってのことだろう。
だが、私たちが哲学思想史の理解を深めるには、スコラ学批判と言う両者の文脈をもとに考える必要があり、形式的に分類を見るだけでは不十分である。
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