「高等学校日本史B/律令国家への道」の版間の差分
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645年、中大兄皇子は有力な大王候補であった古人大兄王(ふるひとのおおえのおう)を滅ぼし、649年には対立を深めた蘇我倉山田石川麻呂を滅ぼして政権から有力な豪族を排除、中央集権を強めた。
乙巳の変の翌年の646年に'''改新の詔'''(かいしんのみことのり)が出された。これはいわば新政権の施政方針であり、『日本書紀』にその本文が見られる。(ただし、一部後世に付け足したと思われる内容も散見される。)
'''公地公民'''(こうちこうみん)、'''班田収授'''(はんでんしゅうじゅ)、租(そ)・庸(よう)・調(ちょう)などの税制の整備、'''戸籍'''・'''計帳'''の創設、'''国司'''(こくし)の設置等が主な内容であった。
* '''公地公民'''
これまで豪族や王族たちが持っていた土地や人民は、すべて朝廷のものであるとした。また、朝廷が管理できない土地、人民の存在を禁止した。
* '''班田収授'''
租を徴収するため、人民に田を与えて稲作をさせること。ただし実際に班田収授が行われるのはまだ先のことである。
== 国際情勢 ==
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