「Wikibooks:編集方針」の版間の差分

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タグ: 2017年版ソースエディター
 
ウィキブックスに完全かつよくまとまっている完成された文章を投稿することは、素晴らしいことです。このことは、常に奨励されています。
 
しかし、ウィキシステムの大きな利点の一つは、不完全でうまく書けていないページを共同編集作業を通じ磨き抜かれた最高のページへと向上させることができることなのです。このことが、同様の最終作品を生み出す他の方法に対して、我々の方法が勝っている点です。ですから、草稿を投稿することも、できる限り奨励するべきです。
 
ある人は、概要や幾つかの事実を並べた文章で始めることができます。別の人は、マイナーな意見を追加することができます。また別の人が、異なる観点を幾つか付け加えてまとめなおすこともできます。さらに別の人が、軽視されてきた見方を取り上げたり、初期の意見を繰り返すことで[[Wikibooks:中立的な観点|中立的な観点]]に近づけることができます。その後で編集しにきた人は、追加すべき事実や図・写真を持っているかもしれません。
 
これら全ての素材が揃ったら、誰もが飛び入りで全体をよりまとまったものに[[w:リファクタリング|リファクタリング]]することができます。すると、さらに文章が追加され、リファクタリングされるという過程を通じ、究極の完成された教科書に次第に近づいていくでしょう。
 
この過程の間、ページは草稿あるいはノートと小さな事実の集積物にすぎないように見えるかもしれません。このみっともなさにあきれるのではなく、その可能性を楽しみにし、編集の過程を通じてそれが秀逸な文書に変わることを信じるべきです。もちろん、そうすることが好きでなくてもよいのです。時には、本当に低水準の作品に対しては、それを単に直すだけでなく、批判することもよいでしょう。しかし最も大事なことは、それが直せる限りは直すと言うことです。望み薄の文章については、目障りな記事を対応する[[w:Wikipedia:ノートページ|ノートページ]]に移動したり、明らかに救いようのない記事は何でもすぐに削除する慣例になっています。ただし、後者は軽率に行うべきではありません。
 
== 教科書を書くということ ==
私たちが目指しているのは、質・量ともに史上最大のフリーな'''教科書'''を作り上げることです。教科書と言っても、通常の学校教育で用いられるような学術的な範囲に限られたものではありません。学問的なものはもちろん、スポーツやボードゲームなども含めた様々な事柄について、知識を整理し、基礎・基本から応用に至るまで、体系立てて解説をすることで読者にそのテーマを理解してもらうための書籍を作ろうとしています。
 
その中で最も考慮されるべきことは、解説しようとしていることが'''体系立てて書かれているか'''ということです。
 
まず作ろうとしている教科書が全体を俯瞰したときにどのような位置付けとなるのかということを示す必要があります。最も大きなテーマ区分は[[メインページ]]にありますから、ここからスタートしてどのような位置に行きつくのか、まずはじめに表示するべきです。同時に、他の学術分野などとの関連性を示すことができるのなら、それも示すべきです。
 
さらに、その事柄を説明するにあたって、どのような順序で、どのような章立てやページ構成で記述すればよいか、ということにも配慮しなければいけません。順序のおかしな教科書は、読者の理解の妨げとなります。読者がその事柄を修得するためにどのような構成で教科書を作成するべきか、ということについて十分な検討が必要です。また、書きかけの教科書であっても、最低限見出しが書かれていれば他の執筆者や読者は今後の展開をある程度推測することができますし、加筆前に教科書の構成についてよりよくするための議論をすることもできます。
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