「高等学校倫理/近代思想の展開Ⅱ」の版間の差分

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[[File:Francis_Bacon.jpg|200px|thumb|ベーコンの肖像。]]
====略歴====
1561年生~1626年没。法律を学び、国会議員となる。法務次長などをへて最終的に大法官(首相に相当)にまで出世するが、収賄罪に問われて失脚する。その後は新しい学問の方法の確立に専念し、われわれの経験から一般的な規則を発見するための方法を探究した。1626年に没するが、鶏に雪を詰め込んで冷凍の実験を行った際に肺炎にかかり、亡くなったという逸話がある。主著は『新機関(ノヴム=オルガヌス)』『ニュー・アトランティス』。
 
====知は力である====
ベーコンが生まれ育った時代は、ちょうどイギリスのルネサンス期とよばれるエリザベス朝にあたる。シェイクスピアに代表される文芸が花開き、ルネサンスの三大発明とよばれた羅針盤・活版印刷・火薬をはじめとした様々な科学技術の成果はさらに改良が進められて、より高度なものへと発展していった。こうした雰囲気の中で、ベーコンは主著の『ノヴム=オルガヌス』にて、学問の目的を人類の幸福と生活の改善であると述べた。そのために彼が注目したのが、自然科学である。
====帰納法====
 
{| class="wikitable"
|-
! 知は力である
|-
| 人間の知識と力は合一する。原因が知られなければ、結果は生ぜられないからである。というのは、自然は服従することによってでなければ、征服されないのであって、自然の考察において原因と認められるものが、作業において規則の役目をするからである。
 
――『ノヴム=オルガヌス』第一巻・3(『世界の大思想6 ベーコン』(河出書房新社,1969年))」
|}
 
自然はある原因があって、そこから結果が生じるという因果関係に従って動いている。この関係を知ることが自然に「服従する」ということである。それによって得られた知識を自然を支配する技術として応用し、人間の生活を改善していこうというのが、ベーコンの姿勢である。これが「'''知は力である'''」という格言にまとめられている。
 
====四つのイドラ====
では、自然を知るためにはどうすればよいか。ベーコンは、まず知識の獲得をさまたげる偏見や先入観を取り除こうとした。ベーコンは偏見・先入観の種類を4つに分類し、それらを「偶像、幻」という意味の'''イドラ'''(idola)と呼んだ。
 
第一に人間という種族が共通して持っている「種族のイドラ」である。これは錯覚に惑わされたりすること、自分の考えと異なる説を拒否してしまうことといった、人間の本性にもとづくものである。
 
第二に「洞窟のイドラ」である。人々はそれぞれに異なる好み・教育・経験などを持つ。そうした個人の体験や立場に固執することを、狭い洞窟の中からものを見ることにたとえたものである。
 
第三に「{{ruby|市場|いちば}}のイドラ」である。多くの人が集まる市場ではたくさんの言葉が行き交う。しかし、その言葉の内容を確かめもしないで用いることで混乱におちいってしまう。
 
第四が「劇場のイドラ」である。劇場で演じられる芝居や手品をまるで本当のことであるかのように信じこんでしまうように、学者や専門家といった権威のある人の演説や伝統的な説を無批判に信じてしまう。
 
これまでの学問、とくにスコラ学はこうした幻影に惑わされて、自然を勝手にゆがめて解釈してきたゆえに不毛なものになってしまったという。ベーコンはこれらの偏見を取り除き、自然をありのままに観察し、そこから自然の法則を明らかにしようとした。そのための方法が帰納法である。
====帰納法====
 
===ホッブズとロック===