「学習方法/高校卒業後の社会科公民の勉強ガイド」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
→‎正義の人にならないように: もし勉強をしている最中、学術書や教科書などで「正義」を強調する学者がいたら、ほとんどの場合、その学者は低能なので、原則的に放置または軽視しましょう。そして困ったことに、日本や欧米にも、その程度の低いレベルの学者が、多くいます。
289 行
世の中には、自身の信じる「正義」と、真実・真相の区別がつかない人がいます。
 
学問は、普遍性かつ可能性の高い真実・真相を追究する業界です。
 
もし勉強をしている最中、学術書や教科書などで「正義」を強調する学者がいたら、ほとんどの場合、その学者は低能なので、原則的に放置または軽視しましょう。そして困ったことに、日本や欧米にも、その程度の低いレベルの学者が、多くいます。
 
 
そもそも学問は、正義の追及の場ではなく、可能性・確率などの検証の場だからです。
 
数学の確率の計算のようなものです。たとえば歴史学なら、過去にどんな事象が起きたかを調べるわけです。経済学なら、経済でどんな事象が起きそうかを予想したりするわけです。
 
たとえば、ある経済政策が好きか嫌いかなんて、近代学問ではないのです。公共事業が好きかどうかは、学問ではないのです。ある状況下で公共事業をしたら、どうなるかを予想したりするのが、経済学です。
 
歴史学でも、歴史上の人物の好き嫌い、たとえば悪人とされるスターリンやヒトラーが嫌いかどうかは、学問ではないのです。スターリンやヒトラーが政治で何をして、どうなったかを調べるのが歴史学です。
 
 
本物の学問に、一個人の正義感の入る余地はありません。
 
 
数学でいう公理に相当するような、最低限の法秩序は社会科学には必要ですが、しかし、それ以上は真理の探求には本来、不要です。
 
 
ウヨクとかサヨクとかの行き過ぎた人が駄目なのは、そもそも真実を追究する気のない人だからです。
327 ⟶ 345行目:
 
だからこそ、具体的な社会問題の解決のための実務として法や経済政策があるのです。
 
 
== 専門外の大学教授のいうことは疑おう ==