削除された内容 追加された内容
椎楽 (トーク | 投稿記録)
編集の要約なし
椎楽 (トーク | 投稿記録)
→‎修正予定: デカルトへの無知と独断まみれのコラムの修正開始。
184 行
 
 
{{コラム|デカルト『方法序説」の生きた時代と思想(修正)|
(基本的なツッコミとして、「数学者」デカルトということばかりが極大化されている。デカルトがなぜ、数学を重視したのかが執筆者である某氏の思い入れだけで書かれている。デカルトの形而上学をちゃんと勉強してから書いてくれ。あと、時代背景も新教と旧教の対立とかもある。そういうのを理解していないから訳のわからない結論が書かれる。というか、批判的継承というのが分からないんだろうなぁ。あと、スコラ学への理解も古臭い)
 
190 行
 
(↑ツッコミ:そんなわけがない。コギト原理と言われる、デカルトの思想の出発点だ。理系様にも分かるように言えばユークリッドの『原論』の5つの公準を「当たり前でどうでもいいこと」というのと変わらない。『省察』やその他の真っ当な解説くらいは読んでから言え)
 
(修正:倫理でも紹介されている、デカルトの格言「われ思う、ゆえにわれあり」は、デカルトの主著『方法序説』に書かれている。では、どうしてデカルトはそのような考えに至ったのだろうか。思想については「倫理」を見てもらことにして、ここでは彼の生きた時代に注目してみよう。そもそも、この時代は三十年戦争をはじめとした、カトリックとプロテスタントの宗教戦争がはげしい時代であった(戦闘はなかったがデカルトも三十年戦争に従軍している)。また、科学的な発見も相次ぐ中で知識のアップデートも盛んに行われていたが、それは「何が真に正しいことなのか分からない」ということでもあった。つまり、正しさを保障してくれるものは何なのかが全く見通しを立てられなかった。)
 
この『方法序説』は、科学研究の方法論について書かれた書物であり、その主張内容も、