「高等学校古典B/漢文/侵官之害」の版間の差分

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椎楽 (トーク | 投稿記録)
訳→原文という謎構成の修正。
16 行
 
部下の仕事内容と役職とは、一致させなければならない。
==原文==
 
== 書き下し文 ==
:官(かん)を侵す(おかす)の害(がい)
 
昔者(むかし)、韓(かん)の昭侯(しょうこう)酔ひて(よいて)寝ねたり(いねたり)。典冠(てんかん)の者(もの)君の(きみの)寒きを(さむきを)見るや(みるや)、故に(ゆえに)衣を(ころもを)君の(きみの)上に(うえに)加ふ(くはふ)。寝より(しんより)覚めて(さめて)説び(よろこび)、左右に(さゆうに)問ひて(といて)曰はく(いわく)、「誰か(たれか)衣を(ころもを)加えし(くわえし)者(もの)ぞ。」と。左右(さゆう)対へて(こたえて)曰はく(いはく)、「典冠(てんかん)なり。」と。君(きみ)因りて(よりて)典衣(てんい)と典冠(てんかん)を罪せしは(つみせしは)、以て(もって)其の(その)職(しょく)を超ゆ(こゆ)と為せば(なせば)なり。寒き(さむき)を悪まざる(にくまざる)に非ず(あらず)、以て(もって)官(かん)を侵す(おかす)の害(がい)は寒きよりも(さむきよりも)甚だし(はなはだし)と為せば(なせば)なり。
 
故に(ゆえに)明主(めいしゅ)の臣(しん)を蓄ふ(やしなふ)や、臣(しん)は官(かん)を超えて(こえて)功(こう)有る(ある)を得ず(えず)、言(げん)を陳べて(のべて)当たらざる(あたらざる)を得ず(えず)。官を超ゆれば則ち(すなわち)死され(ころされ)、当たらざれば則ち罪(つみ)せらる。業(ぎょう)を其の(その)官(かん)に守り(まもり)、言ふ(いう)所(ところ)の者(もの)貞(てい)ならば、則ち群臣(ぐんしん)は朋党(ほうとう)して相為す(あいなす)を得ず(えず)。
 
:(二柄)
 
=== 語彙 ===
:左右 - 側近。
:誰(たれ) - だれ。「'''た'''れ」と読むことに注意。「だれ」とは読まない。
 
=== 語釈 ===
:韓昭侯 - 紀元前の戦国時代の韓(かん)の国の君主。
:'''説'''(せつ、えつ) - '''よろこ'''ぶ。漢語では「'''悦'''」(エツ)と発音が同じであり、そのため、「悦」の「喜ぶ」という意味と同様に、「説」にも「喜ぶ」という意味がある。
 
:対(こたエテ) - お答えする。目上のものに答える。
:典冠 - 君主の冠を管理する役人。
:典衣 - 君主の衣服を管理する役人。
 
:因(よりテ) - そのために。
:兼罪(かネテ つみせり) - 典衣と典管理の二人とも罰した。
 
:明主(めいしゅ) - 賢明な君主。すぐれた君主。
:貞(てい) - 正しいこと。忠実。
: -
== 現代語訳 ==
(他人の)職分を侵すことは害悪だ。
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(臣下が)職分をおのおの守り、発言が一致すれば、家臣たちどうしが徒党を組んで自分勝手なことをすることは無いのである。
 
== 書き下し文 ==
:官(かん)を侵す(おかす)の害(がい)
 
昔者(むかし)、韓(かん)の昭侯(しょうこう)酔ひて(よいて)寝ねたり(いねたり)。典冠(てんかん)の者(もの)君の(きみの)寒きを(さむきを)見るや(みるや)、故に(ゆえに)衣を(ころもを)君の(きみの)上に(うえに)加ふ(くはふ)。寝より(しんより)覚めて(さめて)説び(よろこび)、左右に(さゆうに)問ひて(といて)曰はく(いわく)、「誰か(たれか)衣を(ころもを)加えし(くわえし)者(もの)ぞ。」と。左右(さゆう)対へて(こたえて)曰はく(いはく)、「典冠(てんかん)なり。」と。君(きみ)因りて(よりて)典衣(てんい)と典冠(てんかん)を罪せしは(つみせしは)、以て(もって)其の(その)職(しょく)を超ゆ(こゆ)と為せば(なせば)なり。寒き(さむき)を悪まざる(にくまざる)に非ず(あらず)、以て(もって)官(かん)を侵す(おかす)の害(がい)は寒きよりも(さむきよりも)甚だし(はなはだし)と為せば(なせば)なり。
 
故に(ゆえに)明主(めいしゅ)の臣(しん)を蓄ふ(やしなふ)や、臣(しん)は官(かん)を超えて(こえて)功(こう)有る(ある)を得ず(えず)、言(げん)を陳べて(のべて)当たらざる(あたらざる)を得ず(えず)。官を超ゆれば則ち(すなわち)死され(ころされ)、当たらざれば則ち罪(つみ)せらる。業(ぎょう)を其の(その)官(かん)に守り(まもり)、言ふ(いう)所(ところ)の者(もの)貞(てい)ならば、則ち群臣(ぐんしん)は朋党(ほうとう)して相為す(あいなす)を得ず(えず)。
 
:(二柄)
 
== 語彙 ==
:左右 - 側近。
:誰(たれ) - だれ。「'''た'''れ」と読むことに注意。「だれ」とは読まない。
 
== 語釈 ==
:韓昭侯 - 紀元前の戦国時代の韓(かん)の国の君主。
:'''説'''(せつ、えつ) - '''よろこ'''ぶ。漢語では「'''悦'''」(エツ)と発音が同じであり、そのため、「悦」の「喜ぶ」という意味と同様に、「説」にも「喜ぶ」という意味がある。
 
:対(こたエテ) - お答えする。目上のものに答える。
:典冠 - 君主の冠を管理する役人。
:典衣 - 君主の衣服を管理する役人。
 
:因(よりテ) - そのために。
:兼罪(かネテ つみせり) - 典衣と典管理の二人とも罰した。
 
:明主(めいしゅ) - 賢明な君主。すぐれた君主。
:貞(てい) - 正しいこと。忠実。
: -
 
== 儒家と法家の対比 ==
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韓非子の生きていた時代は、戦国時代であり、また政治が複雑化していって巨大化していたため、君主が領内を把握しづらくなってきていたので、このような統制を重んじる思想が、政治家からは求められていた。
 
 
== 性善説・性悪説との関係 ==
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孔子などの儒家の多くは、性善説に分類される。そして、儒教的な考え方では、君子が道徳的になれば、民衆の多くも道徳的になり、政治は上手くゆくだろう、と考えるのが一般的である。
 
 
さて、韓非子(かんびし)は荀子(じゅんし)に思想を学んだ。韓非子(かんびし)は荀子(じゅんし)の弟子である。