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椎楽 (トーク | 投稿記録)
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デカルトの時代、もはやスコラ学は
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{{コラム|背理法と日常的な思考 |
背理法は多くの高校生が苦手としています。「Aである」ことを証明するために、わざわざ「Aでない」と仮定して矛盾を導くという論理の展開が不自然に感じられるようです。しかし、背理法の発想は私たちの日常的な思考でもよく使われています。ここでは、その例をいくつか紹介しましょう。
 
一つ目はアリバイ証明です。もしあなたが犯人であると疑われたとします。そのとき、「自分が犯人ではない」ということをどのように証明しますか。ただ「自分は犯人ではない」と言うだけでは説得力がありません。この場合、犯行現場がA駅であったが、「自分は事件が起きたときにはB駅にいた」ことを証明できる、つまりアリバイが成り立つならば自分が犯人ではないという有力な証拠となります。この仕組みを簡単な文にすると以下のようになります。
 
:私が犯人だと仮定すると、A駅にいたことになる。
:しかし私はB駅にいた(=A駅にいなかった)。
:私が同じ時間にA駅とB駅の両方にいることはできないので、当初の仮定と矛盾する。
:ゆえに私が犯人だという仮定がまちがっていたので、私は犯人ではない。
 
実はアリバイを示すことで自分の無実を証明するというのは、こういう仕組みになっているのです。なお、アリバイを証明して無実を証明する方法には、やはり高校生の多くが苦手とする対偶証明法を使うやり方もあります。そちらは、みなさんで考えてみてください。
 
二つ目は消去法です。
 
もちろん、アリバイ証明にしても消去法にしても、いつもこうした考え方で解いているわけではありません。むしろ、背理法のことは意識しないで解くのが当たり前でしょう。しかし、証明の仕方から、
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