「高等学校日本史B/弥生時代」の版間の差分

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 '''『魏志』倭人伝'''(抜粋)
:{{Ruby|倭人|わじん}}{{Ruby|帯方|たいほう}}{{Ruby|東南|とうなん}}{{Ruby|大海|たいかい}}の中にあり、{{Ruby|山島|さんとう}}{{Ruby|りて(|}}りて{{Ruby|国邑|こくゆう}}{{Ruby|す(|}}{{Ruby||もと}}百余国。漢の時、{{Ruby|朝見|ちょうけん}}する者あり。今、{{Ruby|使訳|しやく}}通ずる所三十国。{{Ruby||ぐん}}より{{Ruby||}}{{Ruby|る(|いた|}}には、海岸に{{Ruby|いて(|したが}}いて{{Ruby|水行し(|すいこう}}、・・・(中略)・・・{{Ruby|邪馬台国|やまたいこく}}に至る。女王の都する所なり。男子は大小と無く、{{Ruby||みな}}{{Ruby|黥面|げいめん}}{{Ruby|文身|ぶんしん}}す。・・・{{Ruby|租賦|そふ}}を収むに{{Ruby|邸閣|ていかく}}{{Ruby|り(|}}。国々に{{Ruby||いち}}{{Ruby|り(|}}。有無を交易し、大倭をして之を監せしむ。女王国より以北には、特に一大卒を置き、諸国を検察せしむ。諸国之を{{Ruby|畏憚|いたん}}す。・・・下戸、大人と道路に{{Ruby|相逢へば(|あいあ}}へば{{Ruby|逡巡|しゅんじゅん}}して草に入り、辞を伝へ事を説くには、{{Ruby|は(|あるい}}){{Ruby|り(|うずくま}}或は{{Ruby|き(|ひざまず}}、両手は地に{{Ruby|り(|}}之が{{Ruby|恭敬|きょうけい}}を為す。・・・
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:{{Ruby|の(|}}国、{{Ruby||もと}}{{Ruby||また}}男子を以て王と為す。{{Ruby|まる(|とど}}まること七、八中年。'''倭国乱れ、{{Ruby||あい}}{{Ruby|攻伐|こうばつ}}して年を{{Ruby|たり(|}}たり{{Ruby|ち(|すなわ}}共に一女子を立てて王と為す。名を{{Ruby|卑弥呼|ひみこ}}{{Ruby|ふ(|}}{{Ruby|鬼道|きどう}}を事とし、能く衆を{{Ruby|はす(|まど}}はす。'''{{Ruby|年已に(|すで}}長大なるも、{{Ruby|夫婿|ふせい}}無し。男弟有り、{{Ruby|けて(|たす}}けて国を治む。・・・'''{{Ruby|景初|けいしょ}}二年六月、倭の女王、大夫{{Ruby|難升米|なしめ}}{{Ruby||}}{{Ruby|し(|つかわ}}群に{{Ruby|り(|いた}}'''、天子に詣りて{{Ruby|朝献|ちょうけん}}せんことを求む。・・・その年十二月、{{Ruby|詔書|しょうしょ}}して倭の女王に報じて曰く、「・・・今{{Ruby||なんじ}}を以て'''{{Ruby|親魏倭王|しんぎわおう}}と為し、金印紫綬を{{Ruby|し(|ゆる}}'''、{{Ruby|装封|そうふう}}して{{Ruby|帯方|たいほう}}{{Ruby|太守|たいしゅ}}に付し仮授せしむ。・・・」と。・・・''卑弥呼以て死す。大いに{{Ruby||つか}}を作る。''径百余歩、{{Ruby|徇葬|じゅんそう}}する者、{{Ruby|奴婢|ぬひ}}百余人。更に男王を立てしも、国中服せず、{{Ruby|更々|こもごも}}{{Ruby|相誅殺|ちゅうさつ}}し、当時千余人を殺す。{{Ruby||(ま}}卑弥呼の{{Ruby|宗女|そうじょ}}{{Ruby|壱与|いよ}}の年十三なるを立てて王と為す。国中{{Ruby|に(|つい}}定まる。
 
::(原漢文。『魏書』東夷伝 倭人条)