「中学受験社会/歴史」の版間の差分
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→旧石器時代と縄文時代: 査読は諦めた。現段階では最も長いページ。 タグ: 2017年版ソースエディター |
→江戸時代: とりあえず気付いたところのみ校正。現在は小学校の歴史でさえ(網野史学の影響もあって?)百姓=農民とはしていない。 |
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すべての人を、寺院に所属させる制度を作った。これが宗門改め(しゅうもんあらため)である。寺院は、村人の宗派を証明する手続きをする義務を負った。この寺による宗派の証明の制度を寺請(てらうけ)という。
:1637年 九州の島原半島(しまばらはんとう、長崎県)や天草島(あまくさじま、熊本県)で、キリスト教の信者
▲:1637年 九州の島原半島(しまばらはんとう、長崎県)や天草島(あまくさじま、熊本県)で、キリスト教の信者の農民3万人あまりによる反乱が起きる。農民の反乱の理由は、禁教によるキリシタンへの弾圧、および、領主による重い年貢などへの反乱である。
反乱軍の中心人物は、<big>天草四郎</big>(あまくさ しろう)とも言われる<big>益田時貞</big>(ますだ ときさだ)で、反乱軍は島原半島の原上にたてこもったが、幕府の松平信綱(まつだいら のぶつな)を中心とする
兵数12万人ほどの幕府軍により、反乱軍は負けた。この出来事を<big>島原・天草一揆</big>(島原の乱)という。
▲島原の乱のあと、禁教は強化された。
=== 身分制度 ===
豊臣秀吉の時代に兵農分離がすすみました。江戸幕府も、兵農分離を受けつぎます。よって武士の身分は、
江戸時代の日本の人口における武士の割合(わりあい)は人口の7%ほどです。なお江戸時代の人口の数は 約3000万人 です。
江戸時代の日本の
商人や職人などの町人が人口の6%です。
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公家や僧侶や神社の神官などを合わせて1.5%です。
のこりの1.5%が、 <big>えた</big> および <big>ひにん</big> と言われる、
江戸時代は、武士の身分が、一番、高いです。武士が、他の身分の農民や町民などを支配します。▼
つまり、
:武士 7%
:
:職人・商人など町民 6%
:僧など 1.5%
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武士だけが持つ特権(とっけん)として、<big>名字</big>(みょうじ、苗字)を名乗り(なのり)、また、刀を身につけることが許される(ゆるされる)という特権があった。この苗字と帯刀の特権を合わせて、苗字帯刀(みょうじたいとう)などという。
また、町人や
武士の中でも、身分の差があります。
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将軍や大名のような主人である武士は、家来を持っており、主人と家来にも身分の差があります。
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このように年貢が5割の場合、<big>五公五民</big>(ごこう ごみん)と、いいます。「五公」で年貢が5割という意味です。
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:一. 名主(なぬし、村長のこと)は親のように敬え(うやまえ)。
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* 五人組(ごにんぐみ)
ほかにも、
村長に当たる役目の人は、<big>名主</big>(なぬし)と言われました。
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==== 町人 ====
職人や商人など、町人の多くは城下町(じょうかまち)などの都市(とし)に住んでいました。
=== 幕府の仕組み ===
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