「高等学校日本史B/律令国家への道」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Shuricastle (トーク | 投稿記録) タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
→大宝律令: 誤字や誤植、構文の誤りを修正。読みの誤りを修正。史実と異なる記述を修正。 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
||
77 行
701年の文武天皇(もんむてんのう)のときに、 <span style="color:red"><big>大宝律令</big></span>(たいほうりつりょう) という法典が完成する。大宝律令は、唐の<span style="color:red"><big>律令</big></span>(りつりょう)という法律を参考にしています。
:※ 大宝律令は
「律」は罪人をさばくための刑法で、「令」(りょう)は役所や役人などに対する法律です。
この大宝律令
政府の中央組織には 二官八省(にかんはっしょう) が置かれた。二官には、神々をまつる
太政官には、 <big>
太政官の下に、大蔵省などの八省が置かれた。
<div style="font-size:120%;">
137 行
* 人事制度
各官庁
155 ⟶ 153行目:
また、位階に応じて「位田」(いでん)や「位封」(いふ、いふう)などの給与が与えられ、官職に応じて「官田」などの給与が与えられた。
また、
* 刑罰
司法制度では、刑罰に、笞(ち)・杖(じょう)・徒(ず)・流(る)・死(し)の5つの刑があった。また、国家・天皇・尊属に対する罪は八虐(はちぎゃく)と言われ、とくに重罰とされた。
* 地方の人事
190 ⟶ 188行目:
中央貴族を国司に任命し、地方豪族を郡司に任命することが多かった。
また、地方と都との連絡のために、駅(えき)がつくられた。駅には、馬とその乗り手が配置され、伝令の仕事をした。
;まめ知識
貴族の人数は、全国あわせて200人ほどだと考えられている。(※ 中学の東京書院の教科書で紹介の話題。) なお、朝廷の役人は1万人ほど。平城京の人口は10万人ほど。(※ 中学の自由社の教科書より。)
日本において、国ごとに置かれた役所のことを国府(こくふ)という。
この頃の時代の日本では、役所では、印鑑(いんかん)を文書に押して証明書とする制度が整った。
== 農民などの暮らし ==
|