「中学校国語 古文/平家物語」の版間の差分

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熊谷は「くまがや」ではなく「くまがえ」
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=== 解説 ===
* 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)・・・ インドにある寺で、釈迦(しゃか)の根拠地(こんきょち)。
 
== 敦盛(あつもり)の最期(さいご) ==
* 予備知識
 
一の谷の戦いで源氏が勝利をおさめ、平家は海上に逃れていった。
 
源氏の武将、熊谷(くまが)が磯(いそ)のほうに進むと、なにやら立派な鎧の敵将が、これから海に逃れようとしている。
 
=== 本文 ===
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熊谷(くまがえ)
 
「あれは大将軍とこそ見まいらせ候へ({{ruby|さふらえ|ソウロエ}})。まさなう(ノウ)も敵(かたき)に後ろ(うしろ)を見せさせたまふものかな。返させたま{{ruby|へ|エ}}。」
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熊谷(くまがえ)
「あつぱれ(アッパレ)大将軍(たい{{ruby|しやう|ショウ}}ぐん)や、この人一人(いちにん)討ち(うち)たてまたりとも、負くべきいくさに勝べきやう(ヨウ)もなし。また討ちたてまつらずども、勝つべきいくさに負くることよもあらじ。小次郎が薄手(うすで)負うたるをだに、直実は心苦しう(クルシュウ)こそおもふに、この殿(との)の父、討たれぬと聞いて、いかばかりか嘆き(なげき)たまはん(タマワン)ずらん、あはれ(アワレ)、助けたてまつらばや」と思ひて、後ろをきっと見ければ、土肥(とひ、トイ)・梶原(かぢはら、カジワラ)五十騎(き)ばかりで続いたり。
 
  熊谷(くまがえ)泪(なみだ)をおさへて申けるは、
「助けまゐ(イ)らせんとは存じ候へども、味方(みかた)の軍兵(ぐんぴょう)、雲霞(うんか)のごとく候ふ。よものがれさせ給はじ。人手にかけまゐ(イ)らせんより、同じくは、直実が手にかけまゐ(イ)らせて、後の御孝養(おんけんやう)をこそ仕り(つかまつり)候はめ。」
と申ければ、