「中学受験社会/歴史」の版間の差分

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なお、韓国統監府の名は、 「朝鮮総督府」(ちょうせんそうとくふ) にかわった。
 
 
{{コラム||
朝鮮の民主化への政治改革は、日本によって断行されることとなった。たとえば、身分差別の廃止による解放は大韓帝国時代の1909年に統監府の指導のもとに行われた。
[[ファイル:Isabella Bird.jpg|thumb|150px|イザベラ・バード]]
たとえばイギリスの女性旅行家で作家のイザベラ・バード(Isabella Bird)が書いた文『朝鮮紀行』(ちょうせん きこう、Korea and Her Neighbours)には、朝鮮での日本の改革について書かれており、
「堕落(だらく)しきった朝鮮の官僚(かんりょう)制度(せいど)の浄化(じょうか)に日本は着手した」などと書かれている
 
その他の改革は、日本での改革を手本に、改革が行われた。
 
たとえば朝鮮の学校教育に関して言えば、朝鮮の学校では、日本語と朝鮮語をはじめ算数、日本史、朝鮮史などが教えられるようになった。1911年には、朝鮮の学校の必修科目として朝鮮文字であるハングルが教えられるようになった。
 
また、工業化のための開発や投資が朝鮮に対して行われていった。
鉄道をひくなどの開発が、おこなわれた。土地調査と、土地の権利の整理も、された。
 
なお、この土地の権利整理のときに、一説では、朝鮮人の土地の多くが日本人にうばわれた、と主張する韓国人の学者に多い説もあるが、反対の説もあり、朝鮮人貴族などが所有していた広大な貴族の土地が庶民に与えられたという説もある。
 
 
 
朝鮮の工業や商業は、日本との貿易や、日本からの投資によって、近代化していった。
 
朝鮮の政治を改革したところで、日本は、韓国の主権をうばったことにかわりないので、じきに、朝鮮の独立運動が起こっていく。
 
 
だが、日本が独立を自主的にみとめることはなく、朝鮮が独立したのは,第二次世界大戦で日本がアメリカに1945年に負けて朝鮮半島の支配を日本うしない、アメリカおよびソビエト(現:ロシア)に朝鮮半島の支配がうつったあとであった。
なお、1948年にアメリカの支援を受けた朝鮮半島南側の大韓民国(だいかん みんこく)およびソビエト(ソビエトとは、今で言うロシアのこと)の支援を受けた朝鮮半島喜多川の北朝鮮(きたちょうせん)が、べつべつに独立することになる。
 
 
日本の占領による政策として有名な政策で、<big>創氏改名</big>(そうし かいめい)という、朝鮮人に日本風の名前を名乗らせた政策が有名ですが、じつは、併合直後は、まだこの政策を、おこなっていません。 創氏改名を行った年は1939年(昭和14年)であり、ずいぶんとあとの時代のことです。なので、この節では創氏改名 を解説しません。
}}
 
なお、併合前の韓国が欧米と結んでいた不平等条約は、日本との併合にともない、ほとんどが消えた。
日本と韓国とのあいだにあった不平等条約も、併合にともない、ほとんどが消えた。
 
 
 
{{コラム|「植民地」|
この韓国併合を、「植民地」政策だと批判する意見が韓国などで多いが、この韓国併合は形式的には正確に言うと、たとえば沖縄県や北海道を日本に併合した時と同じように朝鮮半島を日本に併合したという領土の拡大政策である。
 
たとえば長崎県に住んでいる長崎県民が日本国民であり、福岡県に住んでいる福岡県民が日本人なのと同様に、当時は朝鮮半島に住んでいる朝鮮人は併合によって日本国民になったのである。
 
つまり、併合後は、朝鮮半島の朝鮮人も日本人であり、朝鮮人は日本国民なのだ。
けっして、朝鮮人は「日本人ではなく朝鮮人。」ではなく,朝鮮人は「日本人であり朝鮮人である」という状態だったのだ。
 
琉球王国を併合して沖縄県になったからと言って、沖縄県を「植民地」という人は日本には少ないだろう。( ← 2014年に本文を記述。)
 
現在(2014年に本文を記述)のわれわれ人類は、韓国と北朝鮮とが第二次大戦後に日本から独立したことを知っている。北海道や沖縄が日本の国土だということも、現在の日本人は知っている。だが、当時の昔の人は、その後の未来の歴史など、知りようが無いのだ。
 
 
「植民地」という言葉じたいには、実は「開拓地」(かいたくち)とか「移住地」(いじゅうち)などと同じような意味しかない。なので、その土地の先住民が他の民族に支配されているかどうかという意味は、実は「植民地」という言葉のもともとの意味には無い。
 
ただし、当時の時代的に、ヨーロッパなどによるアジアやアフリカなどへの植民地があった時代なので、それと同一視したほうが説明がわかりやすいので、朝鮮を日本の植民地として分類することも日本では多い。
 
このヨーロッパによる「植民地」政策の、「植民地」という言葉の意味すら、じつは「植民地」と言う言葉には元々は「開拓地」(かいたくち)とか「移住地」(いじゅうち)などと同じような意味しかない。
 
もし併合の道義性について議論をするなら(小学校では、そこまで議論しないだろうが・・・)、意味のはっきりしない「植民地」という言葉について、朝鮮が「植民地」かどうかという議論をするよりも、併合が道義的に適切なのかどうかとか、あるいは併合後に独立運動を弾圧・規制したことが適切かどうか、などを議論したほうが具体的だろう。
 
併合により韓国の国家主権をうばっているので、韓国併合は韓国への主権の「侵略」である、という韓国の日本への批判はなりたつかもしれない。
 
 
なお、朝鮮の王朝の一族である李氏(りし)の一族は( 旧・大韓帝国の皇族は・・・、とも言える )、併合後も、日本の皇族に近いあつかいを受けることになった。また、朝鮮の貴族(きぞく)階級( 両班(ヤンパン)と言う。 )は、高位の貴族は「朝鮮貴族」(ちょうせんきぞく)という貴族になって日本の華族に近い扱いをうけたが、ほとんどの元・貴族は平民になった。
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===== 条約改正 =====