「中学受験社会/歴史」の版間の差分

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椎楽 (トーク | 投稿記録)
→‎韓国併合: 寝言を削除。こんなのを真に受けていたらどの中学にもうからない。
椎楽 (トーク | 投稿記録)
→‎東学党の乱(とうがくとう の らん): 余計な部分を削除&漢民族と満州族の対立というおかしな記述を修正(これが正しかったら義和団事件はどうなるのよ……)。
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減税や、腐敗した役人の追放や、日本をふくむ外国の排除を求める反乱である、<big>甲午農民戦争</big>(こうご のうみん せんそう)が1894年に起きたのである。
 
この反乱を起こした農民たちの多くが、「東学」という宗教団体を信じていたので、この反乱を、<big>東学党の乱</big>(とうがくとうの らん)とも言う。キリスト教を「西学」(せいがく)としており、その西学に関して、東洋の伝統的な価値観を「東学」といっていた。
 
 
反乱は大規模であり、いっぽう朝鮮政府はわずかな兵力しか持っていなかったので、清に鎮圧のための軍の派遣をたのんだ。
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やがて反乱がおさまったが、日本・清の両国とも兵をひかなかった。
日本・清の両国とも、朝鮮での自国の影響力が弱まることをおそれたのである。
やがて両国は対立が深まっていき、ついに日本と清との戦争が起きました。「日清戦争」は朝鮮の主導権を握る戦争でした。
 
 
[[ファイル:Une partie de peche.jpg|250px|right|thumb|日清戦争のころの風刺画(ふうしが)。フランス人のビゴー筆。「魚釣り遊び」(''Une partie de pêche'')<br/>魚(=朝鮮)を釣り上げようとする日本と中国(清)、横どりをたくらむロシア]]
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戦争は、日本の勝利で翌年1895年に終わった。
 
清は軍事力の高い強国だと思われていたのですが、戦争が始まってみると、陸戦でも海戦でも日本の勝利でした。日清戦争の前の清は「眠れる獅子」(ねむれる しし)と諸外国から恐れられていました。獅子とはライオンのことです。しかし、日清戦争の敗北により、清の実力が大したことがないことがわかると、ヨーロッパ諸国は次々と中国大陸での勢力拡大にのり出します
日進戦争の前の清は<big>「眠れる獅子」</big>(ねむれる しし)と諸外国から恐れられていました。獅子とはライオンのことです。
 
 
清もヨーロッパから優れた兵器を買っていました。けっして武器が劣っていたわけだけではありません。とくに清の海軍の持つ軍艦である「定遠」(ていえん)と「鎮遠」(ちんえん)の2つの船は、ドイツのフルカン造船所に注文して作ってもらった最新式の軍艦でしたが、清の海軍は日本の海軍に負けてしまいました。(兵器の生産国については覚えなくてもいいです。)清国の政府では、欧米の兵器の技術などをとりいれる運動をおこなっていました。この運動を「洋務運動」(ようむ うんどう)と言います。しかし、欧米の議会制度などは取り入れませんでした。「中体西用」(ちゅうたい せいよう)と言って、技術だけを西洋から取り入れ、政治のしくみは、昔からの中国のやり方をつづけようとしました。
 
 
なお、日本の兵器に関しては、日本はイギリスやフランスから軍艦を買っていました。
イギリスのアームストロング社に注文して作ってもらった「浪速」(なにわ)や「高千穂」(たかちほ)などを日本は持っていました。(兵器の生産国については覚えなくてもいい。)
 
イギリスは、ロシアの東アジアでの勢力が強まることをおそれ、日本に協力的だったのです。
 
 
「日清戦争」の名前が、「日清」戦争なので、よく、まちがわれやすいのですが、べつに清を侵略しようとした戦争ではありません。
そもそも戦争前の清国は軍事力がとても強い国である、と世界から思われていました。なので、日本は簡単には清を侵略できません。
また、欧米が清での利権をあらそっており、日本は簡単には清を侵略できません。
 
 
清国も、日本と同様に兵器の技術を欧米から取り入れていた。にもかかわらず、日清戦争では、日本が大きく勝利した。
 
[[ファイル:Nieuhof-p-263-Googhelaars-Lach-van-Kley-plate-364.png|thumb|600px|辮髪(べんぱつ)]]
この日清戦争のあと、中国大陸では、清の民族(みんぞく)である満州族(まんしゅうぞく)に対する反発が、だんだんと強まっていきます。じつは、もともと、中国では満州族に対する不満が大きかったのです。清の王朝は、満州族の王朝でした。満州族が、漢民族(かんみんぞく)などのおさめていた中国を侵略してつくった王朝が清(しん)です。満州族は、漢民族を支配しました。
 
漢民族たちは、満州族の支配を、不満に感じていました。
満州族は、自分たちの風習を漢民族にも、むりやり、やらせました。たとえば満州族の男は、髪型が辮髪(べんぱつ)という、髪を一部を残して剃りあげ、残りの毛髪を伸ばして三編み(みつあみ)にし、後ろにたらした髪型なのですが、漢民族の男にも、これをやらせました。ほかにも、いろんなことで、漢民族は、満州族のやりかたに、したがわせられました。
 
 
一方、清では日本の明治維新にならって、欧米の政治制度を取り入れようとしました。そして、諸外国のろこつな中国への干渉は中国国内での民族意識を高めるきっかけとなりました。
なので、日清戦争は、民族で見れば、日本人と満州族との戦争です。漢民族との戦争では、ありません。
 
===== 下関条約 =====