「中学受験社会/歴史」の版間の差分

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椎楽 (トーク | 投稿記録)
→‎日露戦争: 条約改正の箇所は大規模な整理が必要だろう。
椎楽 (トーク | 投稿記録)
→‎日清戦争と日露戦争: 条約改正は日清・日露戦争と同等の節にした方がいいだろう。
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さて、併合により、名が「朝鮮」(ちょうせん)に変えられ、韓国統監府は、 「朝鮮総督府」(ちょうせんそうとくふ) にかわった。
 
===== 条約改正 =====
[[ファイル:Munemitsu Mutsu 2.jpg|thumb|150px|陸奥宗光(むつ むねみつ)]]
[[ファイル:Jutaro Komura.jpg|thumb|150px|小村寿太郎(こむら じゅたろう)]]
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日露戦争で日本が勝利したことにより日本の国際的な地位が高まると、各国は、関税自主権の改正にも応じるようになり、外務大臣の小村寿太郎(こむら じゅたろう)の各国との交渉により、1911年に日本の関税自主権は回復した。
 
ここでは少し時間を戻して、条約改正までの歴史を見てみましょう。
 
* 岩倉具視(いわくら ともみ)らの視察団
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* 鹿鳴館(ろくめいかん)
[[File:Chikamatsu Kiken buto no ryakuke.jpg|thumb|400px|鹿鳴館における舞踏会を描いた浮世絵]]
1883年には、東京に、洋風の建物の鹿鳴館(ろくめいかん)を建て、欧米人もまねいて社交のための洋風のダンス・パーティーなども、日々(ひび)、ひらいてみたが、まったく条約改正は進まず、失敗した。
 
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この事件の判決をきっかけに、日本では、条約改正をしようという運動が強まっていったのであった。
 
 
そして、そのあと、1894年に、イギリスとの間で条約を改正し、1911年には外務大臣の小村寿太郎の交渉によりアメリカとのあいだで日本が関税自主権を回復したのをきっかけに、アメリカ以外の各国もそれにならい、1911年に各国とのあいだの日本の関税自主権の回復に成功したのである。