「高等学校世界史B/大航海時代」の版間の差分

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まず、ポルトガルなどにより、アフリカ大陸の西岸にそって南下していったら、どこに到達するのかが調べられた。ポルトガルの王族の子'''エンリケ'''は、みずからは船出しないもの、このアフリカ探検の目的のためにアフリカ西岸に艦隊・船団を派遣し、アフリカ西岸にそって南下させて調べさせた。このようにエンリケが航路の開明に熱心だったため、エンリケは「'''航海王子'''」と呼ばれている。
 
そして、ついに1488年、'''バルトロメウ=ディアス'''の艦隊が、アフリカ大陸の南端の'''喜望峰'''(きぼうほう)に到達した
 
そして、さらに'''ヴァスコ=ダ=ガマ'''の艦隊がアフリカ東岸を北上していき、さらにインド洋を渡り、1498年にはヴァスコ=ダ=ガマのの艦隊はインド西岸の'''カリカット'''に到達し、こうしてインド航路が開かれた。