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椎楽 (トーク | 投稿記録)
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デカルトの時代、もはやスコラ学は
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{{コラム|※ 範囲外: 占領地での略奪について|
よく、「第二次世界大戦の戦争中、日本軍は占領地で略奪をした」などと批判されることがある。(※ 学び舎(教科書会社)の教科書でも、批判的に書いている。)
 
これは、どういう事なのだろうか?
 
まず、そもそも占領地で物資を集めること自体は、べつに国際法では違法ではない。(税金を集める事が違法でないのと同じ。問題視される場合は、物資を集めた結果、(他の地域と比べて)大量の死者や犠牲者を出してしまうような場合であろう。)
 
どこの国の軍による占領でも、占領期間が長引けば、現地で物資を調達するのが通常である。
 
ところが、第二次世界大戦で、東南アジアまで戦線が伸びた時に、問題が起きた。現地調達だけでは食料が足りないのである。(原因は研究途上だが、)どうやら日本や中国・朝鮮半島は、例外的に、食料生産量が高い、または食糧調達の仕組みが充実している地域であったようだ。その例外をてっきり世界の常識だと勘違いしたまま日本軍は東南アジアまで進撃してしまのか、ともかく日本軍は第二次世界大戦では食糧難に悩むことになる。
 
食糧難のため、東南アジアなどでの戦闘に勝利して、現地の連合軍の兵士を捕虜にしたさい、現地の(イギリス兵などの)捕虜(ほりょ)は食料を減らされ、餓死者などの犠牲者が出たので、戦後、捕虜虐待として問題視された。(これとは別に、単に現地の日本軍司令官が、国際法に違反して、捕虜の処刑を命じた例もあるとされる。)
 
 
さらに、(東南アジア地域の)島部の戦闘では、島内では不十分な量の食料しか生産できず、日本の補給船などもアメリカ軍の空爆などにより撃沈され、日本兵に大量の餓死者が出た。
 
戦後日本の言い伝えでは、東南アジアのガダルカナル島の戦闘では、日本兵の死者数については、戦闘そのものによる死者数よりも、餓死した日本兵のほうが人数が多かったとか、後世の日本では言い伝えられているくらいである。
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