「高等学校日本史B/占領と改革」の版間の差分

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== 占領統治の始まり ==
=== 日本占領 ===
[[ファイル:Macarthur hirohito.jpg|thumb|190px|マッカーサー元帥と昭和天皇(1945年9月)]]
'''ポツダム宣言'''を受諾するとともに、鈴木貫太郎内閣は総辞職し、かわりに皇族で西欧留学経験をもつ東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)が組閣した。そして1945年8月後半に進駐軍の受け入れが行われ、9月2日には日本はミズーリ号上において降伏文書に調印し、正式に戦争が終結した。
 
 
=== 極東国際軍事裁判 ===
[[File:IMTFE2.jpg|thumb|220px|極東国際軍事裁判の様子]]
戦争犯罪に関しては、1945年9月から、戦争指導者とみられる軍人や政治家逮捕していきされ、うち28名はA級戦犯として起訴され、1946年5月から'''極東軍事裁判'''('''東京裁判''')で審理された。A級戦犯については1948年11月に判決が下され、翌12月に東条英機・広田弘毅・板垣征四郎ら7人には死刑が執行された。
 
GHQは、天皇を占領統治に利用するため、あえて天皇の戦争責任について追及せず、戦犯指定もしなかった。
 
なお、B級・C級の戦犯は、捕虜虐待などの通常の戦争犯罪の容疑者のことである。B・C級戦犯では、約5700人が訴追され、約1000人が処刑された。だが現代では、処刑されたB・C級戦犯には、実際には冤罪(えんざい)も多かったと考えられている。
 
A級戦犯については、1948年11月に判決が出て、翌12月に東条英機・広田弘毅・板垣征四郎ら7人に死刑が執行された。
 
{{コラム|軍事裁判への批判|
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