「経済学基礎」の版間の差分
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ピケティのクズネッツ批判 |
「誰かの支出は誰かの収入」の話題を会計学関連の話題の前に移動。内容が関連しているので。また、合成の誤謬の話題を一緒に移動。合成の誤謬は日本の大学でよく習う話題なので。 |
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ちなみに「原理」と「原則」はともに英語では principle です。日本語の訳が意訳して気を利かして「原理」と「原則」を分けているだけです。
== 合成の誤謬 ==▼
一般に、節約はよいことのように思われています。▼
ですが、たとえば、もし仮に明日、日本国民の誰も買い物をしなかったとしましょう。▼
すると、明日は、日本中の商店で、どの店も売上がありませんので、その店の商売が苦しくなります▼
このように、節約という行為は、個人スケールで考えた場合は、一時的にカネを保存しますが、しかし、国全体の経済の活気は衰えます。▼
このように、個人スケールで見た場合の合理的な行動と、国家規模の全体的な規模で考えた場合に合理的な行動とは異なります。▼
このようなパラドックス(逆説)を『合成の誤謬』(ごうせい の ごびゅう)といいます。▼
== 誰かの支出は誰かの収入 ==▼
経済学の教科書ではあまり語られませんが、誰かの支払った金銭は、取引相手の収入になります。▼
つまり世界全体で考えれば、誰かの支出は、別の誰かの収入になります。▼
日本国内での日本国民どうしの商取引なら、その取引をしても、日本全体のオカネの合計量は変わりません。▼
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:※ 実は、論者や学派によって、「完全競争」の定義が、微妙に違っている。
:なので、日本の高校で「完全競争」の定義を扱わないのは、それなりに合理的でもある。ある論者が「完全競争」の定義とする5つのくらいの規則が、別の論者にとっては、3つくらいの規則から派生的に導出される(完全競争の)「性質」だったりする場合もある。
▲== 合成の誤謬 ==
▲一般に、節約はよいことのように思われています。
▲ですが、たとえば、もし仮に明日、日本国民の誰も買い物をしなかったとしましょう。
▲すると、明日は、日本中の商店で、どの店も売上がありませんので、その店の商売が苦しくなります
▲このように、節約という行為は、個人スケールで考えた場合は、一時的にカネを保存しますが、しかし、国全体の経済の活気は衰えます。
▲このように、個人スケールで見た場合の合理的な行動と、国家規模の全体的な規模で考えた場合に合理的な行動とは異なります。
▲このようなパラドックス(逆説)を『合成の誤謬』(ごうせい の ごびゅう)といいます。
▲== 誰かの支出は誰かの収入 ==
▲経済学の教科書ではあまり語られませんが、誰かの支払った金銭は、取引相手の収入になります。
▲つまり世界全体で考えれば、誰かの支出は、別の誰かの収入になります。
▲日本国内での日本国民どうしの商取引なら、その取引をしても、日本全体のオカネの合計量は変わりません。
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