「中学校社会 歴史/鎌倉時代」の版間の差分

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=== 執権政治 ===
頼朝の死後は、頼朝の子の頼家(よりいえ)が次の将軍になり、さらに次の将軍位は頼朝の子の実朝(さねとも)がついたが、政治の実権は、頼朝の妻<big>北条政子</big>(ほうじょう まさこ)らの一族の北条氏にあった。その政子の父である<big>北条時政</big>(ほうじょう ときまさ)が<big>執権</big>(しっけん)という役職につき、北条氏らが幕府の実権をにぎった。
また、幕府の問題を決めるときには、会議のため、有力な御家人の中から選んだ評定衆(ひょうじょうしゅう)を集めて、会議をした。北条氏のように執権として政治の実権をにぎる政治のやりかたを <big>執権政治</big>(しっけん せいじ) という。
3代目将軍の実朝は、1219年に頼家の子である公暁(くぎょう)によって実朝は殺される。こうして源氏の直系の将軍は3代で絶える。北条氏は、京都の貴族を形式的な将軍にむかえて、北条氏が政治の実権をにぎった。