「中学受験社会/歴史/上巻」の版間の差分

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〜'''米づくりがはじまる'''〜<br>
[[Image:YayoiJar.JPG|right|250px|thumb|弥生式土器 (やよいしき どき) 。<br>紀元1世紀から3世紀に製作されたもの。東京都 大田区 の 久が原 で出土。 (東京国立博物館所蔵) ]]
紀元前の5世紀ごろ、ユーラシア大陸の中国 (ちゅうごく) や朝鮮半島 (ちょうせんはんとう) あたりの人々から、米による稲作 (いねさく) が、日本に伝わりました。
 
米作りは、まず西日本に伝わり、西日本から東日本へと、米作りが広がっていき、東北地方まで広がりました。
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* 弥生式土器 (やよいしき どき)
また、このころ、土器は、縄文土器よりも うすくて かたい {{Ruby|<span style="color:red">{{Ruby|'''弥生式土器'''</span>|やよいしきどき}} </span>をつくるようになりました。'''弥生土器''' とも呼ばれます。「弥生」 (やよい) とは、学者が発見した場所が、東京の弥生町 (やよいちょう) で見つかったので、「弥生式」「土器」と、よばれています。
 
縄文土器と弥生土器の違いは、弥生時代のころには、土器をつくる技術が進歩したので、土器の形が 変わったのだろうと考えられています。
 
* {{Ruby|高床式倉庫|たかゆかしきそうこ}}
米の保管には、{{Ruby|<span style="color:red">{{Ruby|'''高床式倉庫'''</span> |たかゆかしきそうこ}}</span>で保管されました。「高床倉庫」 とも、言います。
 
高床式倉庫が高いのは、ねずみ などの動物が入りづらくするためというのが主な理由だろうと考えられています。風通しをよくし、湿気を逃すため、という理由もあるでしょう。ねずみの害を防ぐという理由の有力な根拠として、地面から床までの柱の、柱の頂上に「かえし」がついていて、動物などが登れないように工夫した高床式倉庫が見つかっています。
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: (漢書にかかれた漢は、前漢である。前漢については後述。漢には、時代によって前漢と後漢がある。)
 
その頃、漢の人は日本を{{Ruby|<span style="color:red">{{Ruby|'''倭'''</span>|わ}} </span>と呼び、日本人を{{Ruby|<span style="color:red">'''倭人'''</span>|わじん}}と読んでいます。
 
漢書によると、そのころの、日本は、100あまりの国に分かれており、漢の王朝へ、定期的に貢物 を持って、あいさつ に やってくるそうです。
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そして、これら30あまりの国を従えた <span style="color:red">'''邪馬台国'''</span> (やまたいこく) が、日本に ありました。邪馬台国で、代表的な地位にあった人間がいます。名を {{Ruby|<span style="color:red">'''卑弥呼'''</span> |ひみこ}} という人物で、女の人物です。
 
倭人伝によると、倭 (わ) の国では、もともとは男の王をたてていたようですが、戦争が続いたので、卑弥呼を女王にしたようです。
 
 
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邪馬台国は、魏に、外交の使いを送ります。
卑弥呼は、魏の皇帝から、 '''親魏倭王''' (しんぎわおう) という称号の入った<span style="color:red">'''金印'''</span> (きんいん) をもらいます。そのほか、銅鏡を100枚と、絹の織物や、毛織物などを、日本は受け取ります。
 
倭人伝によると、卑弥呼の政治は、まじないや占いによるものだそうです。卑弥呼は、宮殿にこもりきりで、人々の前には、ほとんど姿を見せなかったらしいです。卑弥呼の弟が、宮殿に出入りをしていて、卑弥呼からの指示を人々につたえていたらしいです。実務は、弟など、卑弥呼でない人物が行っていたようです。