「高等学校世界史B/17〜18世紀のヨーロッパの文化と社会」の版間の差分

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→‎自然科学や哲学などの学問: デカルトの「コラム」を削除。(デカルトやスコラ哲学についての一面的な理解であり、正確さにも欠ける。そして、主観的な結論であり教科書にそぐわない)
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冒頭に関連事項へのリンクがあるため、注の削除。
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== 自然科学や哲学などの学問 ==
ルネサンスや宗教改革、自然科学などの発達により、学問の世界に起きた変化として、(けっして人類が単に新しい個別の知識を発見するだけでなく、)さらに、中世の学問(スコラ学など)への批判が起き、学者たち間から、学問の研究方法についての見直しが起こった。<ref>このスコラ学批判は、けっしてwikibooksの独自研究ではなく、『岩波哲学小事典』をはじめとした辞典や入門書でも記載されていることである。一般の高校生向き教科書においても山川出版の『高校倫理』(平成26年2月25日発行、134ページ)にも、F.ベーコンやデカルトなどが哲学書を書いた経緯としてスコラ学批判という事情が書かれている。</ref>
 
哲学において、大きな役割を果たしたのがフランスのデカルトとイギリスのベーコンである。'''デカルト'''は17世紀前半に活躍した。「われ思う、ゆえに我あり」の命題で知られる。なお、デカルトは代数などの研究もしており、数学の概念の確立にも大きく寄与している。デカルトは、彼の主張する合理的な思考法として、(wikibooks読者にとっては、中学の幾何学の証明のように)もし仮説や予想を主張するさいには、(幾何学の5つの公理のように、だれもが認めざるをえない)一般法則をもとに、論証によって派生的な事例の予想をすべしというような思考法である'''演繹法'''(えんえきほう)を主張した。(おそらくは、(読者が中学で習うような)幾何学の証明法をデカルトは参考にしたのだろう。)
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(※ ロジャー・ベーコンとは別人。 『[[高等学校世界史B/中世ヨーロッパの文化]]』。ロジャーもまた、実験を重んじるべきと主張しており、まぎらわしい。)
 
デカルトも、ベーコンも、当時、隆盛を誇っていたスコラ学が、実態は形骸化した学問であるとして、新しい学問の方法を提示したという事情がある。<ref>高校生向き教科書の山川出版『高校倫理』(平成26年2月25日発行、134ページ)にも、F.ベーコンやデカルトなどが哲学書を書いた経緯としてスコラ学批判という事情が書かれている。</ref>
 
{{コラム|「帰納法」とは|
帰納法とは、たとえば、
:「きのう、食べた りんご が、すべて甘かった」として、「きょう食べた りんご も甘かった」として、「いままで食べた りんご はすべて甘かった」としたら、
:結論として「よって、すべての りんご は甘い」というような推論法。
 
帰納法の例を物理学で言うなら、「あの石ころは、空気中で、手で持ち上げて、手をはなせば、落下する」、「この石ころも、空気中で、手で持ち上げて、手をはなせば、落下する」、「さらに別の石ころも、空気中で、手で持ち上げて、手をはなせば、落下する」というような事実から、
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しかし、りんごの例では、現実には、甘くない りんご もあるだろう(例えば、ひからびた りんご などを考えれば良い)。このように、帰納法では、まちがった結論を導くことも多い。また、感覚主義的に陥る危険もある。
 
 
物理学では、多くの実験によって帰納法的に法則を導くが、しかし、上述のりんごの例のように帰納法だけでは、正しい結論を導くには不十分である。正しい結論を導くには、帰納法と演繹法の両面から、検証をしなければならない。